
(ネタバレあります)
17日(日)と18日(月)の一泊二日で、六月大歌舞伎を観て来た。
今回はもう、松緑ファンとしての最大の見どころは
夜の部最後の『巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)』!!
観たことのない演目で、期待するような内容なのかどうかも、
最初は全然わからなかったのだが、初日にTwitterで見ていると
紀尾井町(=松緑)マニアたちの反応が尋常でなく(笑)、
「ファンなら絶対に一階席で観るべき!!」
との書き込みがあり、こ・れ・は!と迷わず一等席を奮発した(爆)。
松緑演じる「虎鰒の太十」の、色っぽい目つき、味のある声にナマ脚、
成る程こいつぁファンなら震えの来る色悪ぶり、と冒頭から納得の出来映えで、
しかも龍達(芝翫)との掛け合いに迫力があり、アドリブも満載で、
松緑の面目躍如である破滅型の結末に行き着くまで、
まさに美味しいところだらけの二幕だった。
龍達に「でっかい目しやがって」と言われて、
太十が「オヤジ譲りだ!」と応えるところも、古いファンには二重の楽しさ。
これは日によって、父譲りと祖父譲りの2バージョンあるらしい(笑)。
また17日のときは、奉公先から逃げ帰ってきた従妹おとら(児太郎)に、
太十が、早く勤めに戻るようにと言って聞かせる場面で、
松緑は間違えて、相手を妻おいち(雀右衛門)の名で呼んでしまい、
「(艶のある良い声で)おいち、…………おいちじゃねぇや(^_^;、おとら(^_^;」
と言い直したのだが、これが素ともアドリブともつかぬ可笑しさがあり、
客席にオオウケしていた。
脚本の中で明確に書かれている訳ではないが、設定から言って多分、
太十は妻おいちに内緒で若い従妹おとらにも手出しをしている筈で、
うっかりと2人の女の名前を間違えて呼んでしまうところに、
妙なリアリティがあり、巧まずして秀逸な呼び間違いになっていた。
顔を覆って泣いていたおとらの児太郎、本当は笑っていたかも(笑)。
しかし、芝翫との応酬やアドリブなど含めて可笑しい場面でも
アチャラカにならず、笑いに走りすぎないようよく配慮されていて、
そこはやはり、何事も丁寧にやる松緑なので、
どの場面についても、全体を見渡し芝居が最後にどこに行くかを
過不足なく計算して演っていたのだなと、あとで見終わったとき思った。
おとら(児太郎)は、太十に後ろから抱かれて、
奉公先に戻ることを恍惚とした表情で承諾する場面が印象的だった。
このときから、既におとらの魂はこの世を離れつつあった。
実際に太十と言葉を交わすところは、さほど長い遣り取りではなかったのに、
おとらが、おそらくは初めての男であった太十に執着を持ちつつ、
奉公先の高齢の医者に弄ばれる境遇でもあるということが、
児太郎の、うっとりとした、しかし絶望的な眼差しから、伝わった。
一方、妻おいち(雀右衛門)がまたなんとも男好きのする可愛らしさ、
そんなに純な女ではないのだが、性根のところで素直さがあり、
太十を愛していることも言葉や態度の端々にあって、大変良かった。
そもそもが、太十・おいち夫婦は、龍達の百両を掘り出したときも、
黙って持って逃げることをせず、そっくりそのまま龍達に渡したりして、
小狡いのかと思えば、案外、人の道に外れぬ行動をするところもあり、
汚れた部分と好ましい部分とのバランスが絶妙だった。
隣家の妻おとま(梅花)もまた、年齢はある程度行っているけれども、
太十を男として見ている面があり、色の道のほうは抑えようもなく健在、
おとらへの行き届いた言動からも、彼女が隙の無い女であることが感じられ、
脇にありつつ要所で印象を残す、巧い演じ方だなと思った。
おとまの夫・徳兵衛(松江)は台詞はほとんど無いのだが、
早桶屋(はやおけや=死人が出ると早急に棺桶を作る葬儀屋)という
仕事がそこはかとなく不気味で、黙々と作業する姿から
彼の人生や彼の作った棺桶に入る人のことなど、様々に連想をさせられた。
薬売り勝蔵(橘太郎)の「ヨイヨイ」のかたちはたいそう面白くて、
この人が不自由な足で滑り落ちるように登場する場面では客席がドっと沸いた。
勝蔵のような昔の仲間に、温かい言葉をかけ親切にする一方で、
龍達を毒殺しようと思いつくあたり、太十の不思議さというか、
人間の複雑さというものだろうかと、考えさせられた。
太十は、松緑の演り方であれば、先天的にか後天的にか知らないが元々、
闇を抱え破滅を求める気質があった、ということなのだろう。
それらは彼の魅力や包容力と、矛盾せずに同居していたのだが、
徐々に時間をかけてあぶり出され、殺鼠剤を前にして一気に開花した、
というふうに、観ていて思われた。
あのあたりの、松緑の目つきの変化は、今も思い出せる(^_^;。
龍達の芝翫は大活躍で、喜劇としての呼吸が素晴らしかったのは勿論、
太十・おいち夫婦を手玉に取る百戦錬磨ぶりも見事、
終盤で一転して怪談咄になるところも、息を呑む変貌ぶり、
しかし決して唐突だったり、ちぐはぐだったりする印象はなく、
芝翫の芸域の広さゆえの成功で、さすがはと唸らされた。
私の趣味としては、芝翫はこういう、
汚れ役でも表情豊かな存在感を示してくれる役が、断然良い。
あの橋の上で、きょうも、明日も、いつまでも、
おとらと龍達の霊魂は、変わらずにあの場所に現れ続け、
太十の霊もまた、叫び声をあげて川に落ちていくことを
来る夜も来る夜も、果てしも無く繰り返しているに違いない、
……と思わせる、納涼歌舞伎(違)にピッタリの(^_^;幕切れだった。