
前売りを買ってあったのに、ずっと忙しくて出かけられず、
最終日の今日になって、ようやく見に行くことができた。
平田玉蘊は、江馬細香とともに、頼山陽の恋人として有名だった女性だが、
彼女たち自身も、優れた作品を多数残した女流画人・文人であった。
今回は特に平田玉蘊の作品を集めた展示だったのだが、
画賛や書簡などには、頼山陽のみならず、頼春水・春風・杏坪や菅茶山、
上田琴風や田能村竹田など、馴染みの名前が次々と登場し、
当時のこうした文化人たちとの交流が読み取れ、大変興味深かった。
平田玉蘊の作品は花鳥画が定番ということになっているのだが、
きょうの展示を見て私は、彼女の描く人物画に非常に心惹かれたし、
点数は少ないものの、犬や虎などの動物をテーマにした作品にも、
惹きつけられるものがいくつかあった。
私が思っていたよりもずっと、平田玉蘊の筆致には写実的な面があり、
その作品世界はバラエティに富んでいた。
彼女が様々なテクニックを開拓し続けたこともよくわかったし、
多くの作品において、人物や動物の表情は生き生きと鮮やかで、
中にはユーモラスな空気さえ、感じられるものがあった。
特に私が気に入ったのは、『鹿に月図』の鹿の横顔や、
『若衆に犬図』の犬の表情、
『寿老人図』の、鹿と仲良くしている(笑)寿老人の様子、などだった。
頼山陽と平田玉蘊は一時期、公認の恋人同士であったが、
結局、結ばれることはなかった。
求婚したものの、その後出奔して独り京にのぼった頼山陽は、
生活の目処が立たなくなり、結婚の話は時期を逸したまま終わった、
というように言われているが、詳細はよくわからない。
しかし頼山陽の周囲の人々――頼家の両親や叔父たち、
また神辺での親代わりであった菅茶山など――が、
山陽と別れたあとの玉蘊をも、変わりなく支え続けたことが、
今回の展示からよくわかり、改めて心打たれるものがあった。
女性である玉蘊が傷ついたことに対して、
頼家の人々は申し訳なく思ったに違いないが、
彼らは、一時の罪滅ぼしのために玉蘊の作品を買ったのではなかった。
皆が、何よりも彼女の画才を高く評価していたからこそ、
その交流は終生、損なわれることがなく、
誰もが彼女の絵を求め、画賛を書き、ときに共作をして、
彼女を守り立てようとしたのだと思う。
『批正を乞いたいが、女の身では自由に出かけることも叶わない』
という意味のことを書いた、玉蘊の書簡が展示されていたが、
そのような時代にあって、絵筆ひとつで名をなし、生計を立てた彼女は、
今の私たちが想像する以上に、強く自立した女性だったのだと思った。
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ふくやま草戸千軒ミュージアムには初めて行ったのだが、
大変わかりやすく魅力ある展示がなされていたと思う。
特に、画賛や書簡、日記など文章の展示物については、
現代日本語での要約が適切な分量でつけられていたことが良かった。
展示の解説を見ることは読書とは違うので、
あまり細かい文章が添えられていても、その場で読み切るのは難しいし、
かと言って、背景に不明な点が多くては作品の意味もわかりづらい。
その点で、今回の玉蘊展は過不足がなく、実に良い内容だったと思った。