今月下旬に某ホールで内輪の発表会があって、
私はツェルニー30番から4曲、弾くことになっている。
自分で弾きたくて積極的に選んだのは25番で、
その他は、3月このかたの入院騒動と通院で準備の期間がなく、
「とりあえずウケそうなもの」「無事に弾けそうなもの」
を足して、与えられた演奏時間を満たすよう4曲構成にした(汗)。
練習時間がないにしても、例えばモーツァルトやベートーヴェンの
小品など仕上げたほうが、本当は良かったのかもしれないが、
私はツェルニーを偏愛しているので、せっかくだし一度くらい、
ホールのフルコンでツェルニーを弾いてみたかったのだ。
私は常々、自分の感覚に偏執狂的なものを自覚しているのだが、
長年の、ツェルニーへの深い愛(笑)もその類いかもしれない。
私は基本的に、練習曲とともにシツコく過ごすことが性に合う。
日常も、ハノンから始めて、リズム変奏を試したり移調したりして、
それからツェルニー30番を弾いて、速度を変えて弾き直したりして、
……主婦の道楽だから、すぐ家事の時間になり、練習は以上!
という日が、結構あったりする。
そんな基礎練習に時間をかけて何になる、と仰る向きもあると思うが、
私はむしろ、ハノンやツェルニーを弾くこと自体が目的なのだ。
何かほかの憧れの曲を弾くために、我慢して鍛錬しているのではなくて、
私はツェルニーそのものを、美しく見事に弾けるようになりたいのだ。
どうして世間はツェルニーをあんなに毛嫌いするのだろう、
と私は不思議なくらいだ。
私にとって弾く快感が最も大きいのは、多分ツェルニーなんだが(爆)。
それと、もうひとつの偏執狂的な傾向として、
私は、一冊の本をくまなく仕上げるのが生理的に好きだ。
だからツェルニーなども全曲やるのが良いのだ。私には(笑)。
今やっているツェルニー30番なんて、子供の頃にもやった曲が多く、
実質的には、ほとんど二周目だ。
一周目の穴を埋めたり弱点を補強したりしながらの二周目なので、
より綺麗に速く弾けるようになった実感があり、嬉しく思っている。
これはピアノの練習に限らず、普通の読書でもそうだし、
語学の演習などの問題集や参考書でも同じだ。
このブログがこれだけ続いていることから見ても、
『途切らせない』ことへの、私の異常な執着は、
きっとご理解頂けることと思う(^_^;。
「ソナチネ・アルバムの昔やり残した曲たちをつぶして行って1冊を埋めたい」
という希望も実はあったのだが、先生の御返事は、
「そこまでやる人は普通、居ない」
と、どうもあまり芳しいものではなかった(^_^;。
そうだったのか。実に残念だ。
それでいて、私は『聴く』ことに関しては、
別にエチュード系が好きなわけではないし、
ベートーヴェン・ソナタ全集とか、
ショパン全曲録音などという企画そのものに、
さほど意義を感じるわけでもない。
多分、私の聴きたいピアノは純粋に『音楽』だが、
私の弾きたいピアノはかなりの部分、『筋トレ』なのだ(爆)。
いや、でも今月末のは人前で弾く発表会なので、
私なりに、ツェルニーの『演奏』の面に力を入れたいとは思っている。
例えば第2番なんて、スラーの付け方が普段のツェルニーと違い、
フレーズ処理の多彩さが、相当問われている曲だと思うのよ(^_^;。