
昨日は、主人と宙組公演を観に宝塚大劇場まで行った。
ふたりとも原作の『モンテ・クリスト伯』の読者だったし、
特に主人のほうが作品マニアと言えるほど詳しいので、
あの大作が宝塚でどうなったかを観たいと思い、遠征したのだ。
早朝に兵庫県で大きな地震があり、その影響でJRも止まっていて、
だのに、あまり疑問にも思わず、
「じゃあ阪急で行けばいいよね!」
「新神戸から三宮なら、タクシー乗っても知れとるし」
と出発した私達は、あとでよく考えたら物事の判断基準が
結構、おかしかったかもしれない(汗)。
地震の影響で、山陽新幹線も5~10分程度の遅延が出ていたが、
私達は割と早めに出発したので、何の影響も受けなかった。
余裕で阪急宝塚に到着し、良い機会だったので、
男ひとりでは入りにくいであろう『宝塚アン』や、
普段彼が行かない『キャトル・レーブ』に
私は主人を案内してあげた(^_^;。
漫画『ZUCCA×ZUCA』さながらの世界に、主人がウケていた。
*************
(以下、ネタバレあり)
それで、肝心の『モンテ・クリスト伯』なのだが。
例によって、いろいろ言いたいことはあるのだが、
それらも吹っ飛ぶほど私が動揺したのが、ラストだった。
『アルベールは、貴男(=エドモン・ダンテス)の息子なのよ!』
って、えええええ~!!!うっっそーーーーー!!!
知らんかった知らんかった知らんかった!!!!
原作にそんなことを匂わすような箇所って、ありましたっけ!??
言われた途端にそれを信じるダンテスもダンテスだと思うのだが、
なんでこんな吉本新喜劇みたいな展開になるの!???
私の目の前で、ここから、あれよあれよという間に、
物語は全然違うものになって終わってしまい
(それまでも既に原作とはだいぶ関係なくなっていたが・爆)、
幕が降りてから私がボー然としていたら、
「アルベールがダンテスの息子、っちゅー脚色は、
確かフランスでドラマ化されたときかなんかに、あったのよ」
と横から主人が言った。
そーだったんだ!?
とすると、脚本演出のダーイシ(石田昌也)先生は、
そのあたりも研究した上で、この決着を選択されたワケか(^_^;。
転妻「一応、根拠はあったんだ…」
転夫「いや別に、根拠なんか無いが」(爆)
しかしそれならそれで、もうちょっと伏線なり前振りなり、
繊細な仕掛けが、事前に必要だったのではないだろうか。
フェルナンとメルセデスの夫婦仲が非常に悪かったのは、
アルベールの出生に疑惑のあったことが理由か、
とも思うが、それにしてはフェルナンとアルベールの間は、
父子としてさほど険悪にも見えなかった。
フェルナンは、騙され続けて来たのか?
でも、秘密を秘密として墓場まで持って行く、
というほどの決意も、メルセデスには見えなかったし、
彼女はそもそも、どういうつもりでフェルナンと結婚したのか。
何より、メルセデスは、ダンテスが息子の父と知っていたなら、
何を思って、剣でダンテスをどつきまわしたりしたのか(爆)。
ダンテスとアルベールの決闘を、自分のすべてを賭けて止めるなら、
あの場でダンテスに、アルベールは貴男の息子だと
言ってしまえば済むことだったのでは。
大事なのは、ここでダンテスが死ぬかメルセデスが死ぬかではなく、
父子で殺し合いをさせないことのほうだろう。
一旦は命を捨てる覚悟までしたダンテスが
あれでは、ただの道化です(汗)。
ほかの場面やエピソードに関しても、
優れた劇作家でもあったデュマが、実に用意周到に
読み手のカタルシスを呼ぶように工夫して構成した台詞や展開を、
今回の舞台では、ことごとくすっ飛ばしていたことが、大変残念だった。
特に、最大の見せ場である貴族院での弁明の場面がないなら、
エデが登場した意味なんか、ほぼ無いだろう(^_^;
こうなるのなら、デュマの壮大な原作『モンテ・クリスト伯』よりも、
児童文学などのジャンルで翻案としていろいろと出ている、
もっと簡単な(しかし秀逸な)『がんくつ王』あたりを
下敷きにして脚色したほうが、一幕ものとしては、
ずっと納得感のある内容になったのでは、
という気が、しきりと、した。
……でも、凰稀かなめは、巧かった。
声が良くて台詞が聞きやすかったし、男役の型もあったし、
ダンテスの七変化(というほどの場面は与えられていなかったが)も
それなりに印象的に見せる工夫をしていたと思う。
彼女の存在感と熱演が、作品を支えた部分は、実に大きかった。
そしてあんな支離滅裂な設定のメルセデスを、
実咲凛音ちゃんもよく演ったと感心した。
実は首尾一貫していないものを、なんとか場面場面を演じ分けて、
その場に応じた説得力を出そうとしていた努力を私は感じた。
また、彼女の若さなら、エデをヒロインにして貰ったほうが、
よほど演じやすかっただろうに、
ちゃんとメルセデスの「老け」まで表現していて立派だった。
だからこそ、メルセデスはやはり孤独で終わるほうが、
私は良いと思ったのだがな………。
勿論、なんとか宝塚らしくまとめたいという、
ダーイシ先生のご苦労も、おありだったのだとは思う。
トップコンビの見せ場や、路線男役の立場に応じた役柄、
死ぬ順番(!)などが脚本上、様々な制約となったことだろう。
しかしそれにしても、生徒さんから質問は出なかったのだろうか。
どういう意図で、あとに繋がるなら何を踏まえて、
この台詞があるのか、演技プランはどうしたら良いかと、
宙の生徒さんたちは相当苦労したのではないかと私は想像した。
たかが使用人なのにベルツッチオ、どうしてこんなに始終、
ファリア司祭が憑依したみたいな、偉そうな人生訓垂れるんですか、
とか(逃!)。
また書く気になったら、この件は、改めて……。