来月再び、前回とは違うホールの試奏会に参加できそうな見通しになったので、
できる範囲でマズルカ作品59-2を練習して行こうと思っている。
そうだとも。今度はもう、ハノンではないのだっ!
左手が飛ぶところでモタついたりハズしたりしている間は、
全くマズルカにならないので、たびたび手元を見ないでも弾けるように
まずは音と鍵盤の位置とを、自分の中に定着させないといけない。
ショパンは、こんなシンプルな曲でも音と音との距離感が独特で、
手の開き具合が、普段弾いているものとは違い、私には苦労が多い。
以前、ベートーヴェンのソナタ5番を練習していたときには、
全然弾けていないくせに、要所要所をかっきりキメようと張り切り過ぎて、
挙げ句に肘から手首にかけて筋肉痛みたいになったものだが、
今回は、今までに無かった変な角度で手を開くことを繰り返し過ぎて、
そのうち手の甲かどこかに、神経痛が起きそうな気がする(^_^;。
手を痛める弾き方では結局、音楽も駄目になるから、注意しなくては。
折しも、『この際きちんとパデレフスキ版の楽譜にあたるべきだと思う』
という意味の助言を某氏から頂き(ありがとうございました!)、
それは確かにその通りだと反省をし、
きょうの午後、外出したときに楽譜屋さんに寄って、買ってきた。
たとえ腕前は駄目駄目でも、真面目に弾く気持ちがあるのなら、
出発点である楽譜をケチっている場合ではないだろう。
入門者のくせに、オリジナルテキストを見ることを怠っておいて、
教科書ガイドで間に合わせようというほうが、やはり間違っている(^_^;
(ということは、きっと原典版のヘンレ版も見るべきなのよね、本当は)。
そういえば5月7日の協奏曲のとき、ポゴレリチもパデレフスキ版を使っていた。
キリル文字で書かれていたので、彼のはロシア語訳だったと思うのだが、
表紙のデザインやロゴがパデレフスキ版のものだった筈だ。
また、『2番を弾きたいなら、まず59-1も音だけでも出してみるのが良い』
という助言も同じ某氏から頂いていたので、夕方、家でそれもやってみた。
私の場合、もともとが全くまともに弾けないわけだから、
初見では三拍子の維持も出来ていない、激遅マズルカにしかならなかったが、
そのせいもあり、改めて、ショパンの和声って本当に複雑怪奇だ、と思った。
59-1は特に転調の斬新さが聴きどころではあるが、それにしても、
ショパンの曲の場合、59-2でもその他の曲のどれでも、大なり小なり、
テンポを保って音楽が流れているときには、容易に表層に出て来ない、
ハーモニーの不気味さが、音楽の深層構造に隠されていて、
ゆっくり弾くとそれが独特のかたちで顔を出すように思う。
2005年のポゴレリチ東京公演のときなど、彼の独特のスローテンポで聴くと、
ショパンもラフマニノフも、どうかすると同じくらいの時代の、
かなり似通った形式に音楽に聞こえて、結構、衝撃的だったものだ。
『普通の』テンポで聴いたとき、ショパンとラフマニノフの区別がつかない、
などとは、それまでの私には考えられないことだったのに、
テンポを落とすと、ショパンから、物凄く現代寄りの和声が響き始めて、
しかも、とてもキショク悪い(殴)複音楽になっていることがわかったのだ。
ラフマニノフがああなったことには、さほど意外さは感じなかったが、
ショパンでああいうことをされると、目から鱗、というより、
目からコンタクトが落ちたようなショックだった。
以前は鮮明に見えていたものの輪郭が、皆にじんだり歪んだりしたのだから(爆)。
だが私が今、積んだり崩したりしているのは、勿論、もっと手前の次元の話だ。
ショパンに隠された高度な意味での不気味さにはほど遠く、
単に、ひどくヘタに弾いたショパンだから、
和音の個性が収まりの悪さとして響いて、キモち悪い、という要素が大半だ。
なので、目下とにかく練習あるのみで、音を覚えテンポを維持して、
キショくないところまで組み立てるのが目標だと思っている。
打鍵もペダリングも稚拙の極みで、洗練されていないが、
素人の趣味の演奏だから、とても低いところに限界があるのは致し方ない。
あとは最低限、ワルツじゃない三拍子に、なってくれると良いのだが(爆)。
最善を尽くしたいとは思いますが、このあと冬の発表会で、
私が弾くときに聴かされる順番になってしまった方は、
是非、シートベルトたすきがけにしてから、お願いします(^_^;。