周辺にあった いろいろなこと | 転妻よしこの道楽日記

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(演奏会の感想については、いつものように改めて書きたいと考えているのだが、
そのときには恐らく触れる機会がないであろう、周辺の記憶に関するメモ、その他)

・今回の来日公演では、ポゴレリチは開場したあとも必ず、
舞台にいてピアノを弾き続けていた。
金沢のときは、前日に追加が発表されたショパンの夜想曲の弱音部分を
とても丁寧に弾いていて(ちなみに楽譜は見ていなかった)、
東京の協奏曲の夜は、3度と6度の和音の上行と下行を中心に確認していた。
そして名古屋のリサイタルでは、特に何の曲ということはなく、
何種類もの和音と、それをつなぐスケールとも言えない不思議な音の連なりを、
非常に静かな音から一定の音量のある音まで、ゆっくりと、
幾度か繰り返して響かせ、音色と音響を確かめている様子だった。
どこの会場もそうだったが、この段階では開演していないわけだから、
観客は少しくらい自由に行動しても良い筈だったのだが、
皆、足音もたてないような歩き方で、私語も極限まで控えられ、
結果的にこのリハーサルがあったために、最初から演奏会の雰囲気が
ポゴレリチによって支配され、決定されてしまったような印象があった。

・担当の方が時間を知らせに出て来られて、ポゴレリチが姿を消すと、
間無しに開演5分前のチャイムが鳴り、開演前のアナウンスが始まったのだが、
一般的な注意事項のあと、「なお、本公演の休憩時間は……」と
言い出したので、私は反射的に前回の福岡公演のことを思い出し、
「『無い』のかっ!?」と血の気が引いた。そうしたら、
「……は、20分間となっております」と続いたので、
「脅かすんじゃねー(--#)」と、つい内心で毒づいてしまった(←身勝手)。

・リサイタルでは、最後のリストのロ短調ソナタが終わると、
ポゴレリチが、自分で椅子をピアノの下に仕舞ったので
片足で蹴り入れたりはしなかった。ちゃんと両手で片付けた)、
もうアンコールは弾かない、ということははっきりしていたのだが、
それでも大きな拍手が鳴り止まなかった。
カーテンコールが繰り返され、スタンディングで讃える人も結構あった。
金沢でも東京でもそうだったが、ポゴレリチは幾度ステージに出てきても、
楽譜を離そうとせず、とても大切そうに両手で持ったまま、客席に頭を下げた
(東京の協奏曲の夜は、席が近くてたまたま見えたのだが、
表紙にキリル文字で『ショパン』と書いてある楽譜だった。
ロシア語のものらしく、ある程度、以前から使用している楽譜だろうと思われた)。
彼にとって楽譜が今どのような存在なのかは、想像するしかないが、
単なる「譜面」でなく、何かが宿っている大事なものなのかもしれなかった。

・どこの会場でも、ポゴレリチの奥様をお見かけした。
2005年以降、日本へはこれで四度目だが、いつも奥様がご一緒で、
海外の記事を見ても、世界中の演奏会に同行されているのだろうと思われた。
おそらく、ポゴレリチが望んだから奥様はそうなさっているのだろうが、
彼女の献身のお蔭で成り立っている演奏活動であることが十分感じられ、
ファンとして感謝に絶えなかった。
本当に遠くから奥様に手を合わせる心境だ、私は。
……もし私が主人の出張に全部同行して、毎回、仕事先まで付き添うとなったら、
と考えると、そのウンザリ具合が想像でk……(以下略)。

・帰りには、私は名古屋駅で『きしめん』を買った。
先月、田村響を聴きに名古屋に来たときに買って帰ったら、
娘がいたく気に入り、今回は最初から『きしめん』御指定だったのだ。
『ざるきし半生』四箱を買い、紙袋を二重にして詰めて貰った。
広島駅から家までさげて帰る間、ガチで腕が抜けそうだったぞ。
一応、演奏会というハレの日で、自分比では盛装しているというのに、
きしめんと旅行かばんを両手に提げる「田舎持ち」スタイルになり、
半端なく重くて、ったく、こっちが半死半生だった。