昨日のアクセス解析を見たら、検索語のところに、
「頼山陽の母」と「香川照之の妻」とが、ほぼ同数で並んでいた(汗)。
まず、「頼山陽の母」のほうだが、私もこれで一年ちょっと、
頼山陽の、特に漢詩について少しずつ調べたり資料を集めたりして来て、
その母に関しても自分なりに、多少は知識が増えた。
頼山陽には、母との交流を細やかに歌った漢詩がいくつもあり、
彼がどれほど篤く母親を慕い敬った息子であったかが感じられるのだが、
父やその他の親族に対してはそのような心情を歌ったものはほぼなく、
現代的な感覚で見れば、つまり頼山陽はマザコンだ(爆)。
頼山陽を読む者にとって、「母」は避けて通ることのできないテーマなのだ。
「頼山陽の母」は、名を静または静子と言うが、
夫の頼春水が死去の間際に、彼女に「梅〈風思〉(ばいし)」という号を送り、
後半生はその名前で和歌などを残したことでも知られている。
書にも優れ、文章家としても卓越したものがあり、才能豊かな女性であった。
大阪の儒医・飯岡義斎の長女で、頼春水との結婚で広島城下に移り住み、
以後、藩儒の妻として祖先祭祀の家祭を守り、
また頼山陽をはじめ幾人もの子供を育てたが、それと同時に、
彼女が着物好きのおしゃれな女性であったことや、酒や煙草をたしなんだことなども、
彼女や夫が日々の記録として残した日記から、よく伺い知ることができる。
「頼山陽の母」に関しては、以下の書籍が参考になると思う。
『頼静子の主婦生活』(皆川 美恵子)雲母書房 (1997/01)
『すっぽらぽんのぽん』(見延典子)南々社 (2000/11)
一方、「香川照之の妻」、……のほうだが。
いや実は私も、今回、香川照之氏が歌舞伎の世界に入られるということを知り、
ご本人の決意のほどもさることながら、奥様のご苦労はいかばかりかと
陰ながら思わぬ日はなかった。
しかし残念ながら、夫人がどういう方なのか、
今回のことについてなんと仰っているのか、私は全くわからない。
誰某の何にあたる等の続柄が話題がまったく出ていないところを見ると、
少なくとも奥様は、歌舞伎や日舞の関係のかたではないのだろう。
歌舞伎の表側は男性だけの世界で、役者さんたちの華やかさや
舞台とは違う裏話などについては、それなりに取り上げられるけれども、
陰で役者さんたちを支えて来られたご家族、特に夫人方のご苦労は、
恐らく、外部の私たちの想像が及ばないほど大変なものだろうと思う。
若くして花嫁になり、何も知らずに飛び込むのも厳しいことだろうけれど、
夫が四十代になって初めて歌舞伎の修行を始める、というのもまた、
その夫人に大変な重責を強いることではないだろうか。
ましてや、記事などを見る限り、実父の猿之助と同居ということだから、
家庭介護の大変さがそこに加わることになるだろう。
香川照之夫人の理解と支援がなければ、今回のことは実現できなかったと思う。
皆、気になることは同じなのだな……、とアクセス解析を見て思った(^_^;。