娘、沖縄修学旅行へ | 転妻よしこの道楽日記

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・娘たちA高校2年生は本日から3泊4日の沖縄修学旅行だ。
朝6時過ぎに広島駅の新幹線口某所に集合と指示されていたので、
今朝は私は4時半に起きて朝食の支度をし、娘を5時に起こした。
広島駅自体は我が家から遠くないので、娘は5時45分頃、徒歩で家を出たが、
まだ日の出前だったので、あたりは薄暗かった。
所持品として携帯電話は許可されていないので、一旦、娘が出てしまうと、
本人と連絡を取る方法がなく、無事に到着したのか、学校のお友達と合流できたのか、
フライトは予定通りか、……全く、何もわからなかった。
とにかく学校側から何も言って来ない以上、順調なのだろうと考えるしかなかった。
こうなると文字通り、便りの無いのが良い便り。
それで、主人を送り出したあと、航空会社のサイトで調べてみたら、
娘達の乗った飛行機は予定より若干早く那覇に到着した、ということがわかった。
天気予報では現地の気温は30度、娘達にとって残暑が戻ってきた気分だろう。

・娘が那覇入りしたことにより、我が家で沖縄に行ったことのないのは私だけになった。
私は高校生になるまでは、「一度も東京に行ったことがない」を自慢にしており、
それとともに、新宿を歩いたことがあるという同級生をいたく尊敬していたものだった。
以後、私は、24歳になるまでは「全然、海外旅行をしたことがない」と威張り、
25歳になるまでは「九州には全く渡ったことがない」と吹聴し、
つい三年前までは「いまだに北海道に足を踏み入れていない」と勝ち誇っていたのだが、
とうとう、私の持ちネタはこれで沖縄だけになったようだ。
ちなみにうちの実家の村には、65歳になる現在もまだ東京に行ったことがない、
というオバちゃんがいて、
「貴重じゃけえ、はぁ、そのまま一生行きんさんな」
と周囲から言われている。

・A高校は平和学習が学校全体の大きな教育目標のひとつになっているので、
沖縄に行くのも主として、慰霊塔や慰霊碑などを訪れて沖縄戦について学ぶためだ。
きょうは、ガマ(自然洞窟)のひとつに入って、中を歩き、
現地の方から、戦争体験を聴かせて頂くことになっているそうだ。
原爆の語り部の方々もそうだが、年々、戦争体験者と言える世代は高齢化しているから、
このような機会が持てるのも、今後、そう長いことではないのかもしれない。
そういえば、私の父の友人のひとりに、お父上が沖縄戦司令部のかなり上部の軍人さんだった、
という方があるのだが(所属や階級等は個人が特定されてしまうので敢えて書かない)、
父が聞いた話によると、このお父上は昭和20年の4月、最後の作戦が開始される直前に、
一度、短い休暇で広島に戻って来られたことがあって、その折りに、
いつもなら休みの終わりに戦線に戻るときには、見送る子供達のほうを振り返り、
手を振って笑顔で出かけて行かれたものだったのに、この日だけは、
一度たりとも振り返ることなく、背を向けて決然と旅立って行かれたということだ。
家族に最後に一目会って、別れを告げるための休暇だったのだ。
休暇中には特別なことは何も語らず、いつもと変わらないように見えたが、
父親の決意が今になってわかる、
……と、のちに息子さんが述懐していらしたとのことだった。