ハイドン『ピアノソナタ第48番』、そしてカツァリス | 転妻よしこの道楽日記

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夏前から始めたハイドンのソナタ48番、譜読みだけは3楽章までやったのだが、
こういう軽やかな曲になると、うちの小さいアプライトの反応の悪さが
私の技術のなさに追い打ちをかけてくれるので、困る(--#)。
こんな腕前ではグランドピアノを弾く資格なんてないだろう、と思う一方、
弘法筆を選ばずの逆で、私はヘタだからこそ楽器が良くないと話にならない、
と痛感することも多い。

特に、私のテクニックでは1楽章の六連符の装飾音がタイトに入らないので、
意地になって集中的に練習していたら、とうとう先日、右腕に神経痛が起きた。
若い頃はこんなことはなかったのだが、まったく年は取りたくないものだ。
しかしこうやって、弾き方の悪いところを体が教えてくれるのだと思って感謝しよう。
どこかが痛くなるというのは(前述の楽器の鈍さの話はさておいて)
何はともあれ、脱力が出来ていなくて無理な力が入っている証拠だから、
この機会に反省し、痛くならない弾き方を見つけるべきなのだ。

Katsaris plays Haydn Sonata No. 48 in C major, Hob. 16/35(YouTube)

シプリアン・カツァリスの1970年チャイコフスキー・コンクールでの演奏だが、
自分でも同曲を弾くようになってみると、細かいところまでよくわかり、
やはりさすがに卓越したセンスを持つ弾き手にかかると、
こういう小さなソナタでも、ニュアンスの光る、粋な一曲になるのだなと思う。

私の持っている楽譜では2楽章は前半後半でそれぞれ繰り返しの指定があり、
つまり一回目と二回目では変化をつけて、全体を大きな変奏曲のように弾け、
という意味合いだと思うのだが、カツァリスはそれぞれ一度しか弾いていない。
コンクールという制約のためだったのか、これが彼の考え方なのかは不明だが、
少なくとも私の力量では冗長になるだけだし、
こういう緩やかな楽章は総じて、繰り返しの無いほうが心地よく聴けるように思う。

3楽章はこれまで、なんとなく愛らしい曲、という印象しか持っていなかったのだが、
楽譜を見てみると、凄くヘンな曲だというのが、初めてわかった(爆)。
冒頭が終わっただけでいきなり転調するし、三連符が右手左手と移り変わり、
不意に最初の音型に戻り、変奏を展開する気配を見せるのに、またすぐまとまり、
……ことごとく、読み手としてのこちらの心づもりを裏切るような構成になっていて、
何がしたいのか、私のような凡人には、どうもよくわからない(汗)。

しかし多分、その予想外の面白さが、ハイドンらしいところでもあるのだ。
フー・ツォンの2009年来日時のプログラムを読んでみると、
『ハイドンは凄い作曲家だ。
老年になっても、いたずらっ子のように明るく無邪気な童心を持ち続け、
知性とユーモアにあふれた音楽を書いている。
機知に富んだ和声の響き、緩徐楽章の美しさは、聴く人の心をとらえて離さない』
という彼の言葉が掲載されている。
そしてカツァリスの演奏を聴いてみると、なるほど、こういう正体不明の楽章を、
まとまった「愛らしい曲」として聴かせるのが本物なのだなぁ、とつくづく思う。

折しも、近々、カツァリスの松江公演がある。
2011年10月16日(日) 15:00開演
第26回記念松江プラバ音楽祭シプリアン・カツァリス ピアノ・リサイタル

私が今、家庭も家族も何も顧みなくて良い境遇なら、
懐かしい松江に、泊まりがけで出かけることにしていただろうと思う。
プラバホールは思い出多い会場だが、今年が開館25周年ということは、
私が松江に住んでいた頃はまだ、ここが出来て10年に満たない時期だったのだ。
一番忘れられないのは95年夏のクリスチャン・ツィメルマンのリサイタルだ。
出産や育児のために、生のピアノを聴くこと自体が久しぶりだったところに、
ツィメルマンをまともに食らってしまい(笑)、効き過ぎて昇天しそうだった。
あの規模の空間で聴くカツァリスは、素晴らしいだろうなと思う。
ああ、聴きたい。

しかし、広島からだと、松江は中途半端に近くて遠いのが問題なのだ。
島根は隣の県なのだが、山陰側に直接行く鉄道は広島側からは無く、
最も普通の交通手段は、片道3時間半かかる高速バスだ。
広島を出て三次までは中国自動車道を通るので快適なのだが、
後半が延々と中国山地沿いの山道をくねくねと行かねばならず、大変だ。
十数年前は、途中の赤名峠で半時間ほど休憩を取る日程になっていたものだが、
今でもそうなのだろうか。
途中の、牛乳で有名な木次とか、漬け物が美味しい頓原とか、……懐かしいな。

しかし、いくら昼の公演といえど、あのバスを一日二回乗って日帰りする、
という元気は私には無い。18年前でも、既に無かった。
ほかに岡山経由で伯備線2時間半、というコースもあるが、
あの列車も酔うほど揺れるので、やはり一日で二度は乗りたくない(汗)。
もうひとつの手段は、浜田までバスで2時間、残りの浜田-松江をJR山陰線で、
という方法か……。うぅむ。
カツァリスを堪能し、松江市内で泊まって、「みな美の鯛めし」を食べて翌日帰る、
というのが理想なのだが、……そんなこと誰が許してくれますか。