・ほんやくコンニャクも終わったし、二台ピアノも無事にやれたし、
きょうは心身が緩んで、疲れが出た気分だった。
娘も体育祭代休で家にいたので、日曜日みたいな雰囲気だった。
・私は未だに「新山千春」が一発で読めることは少なく、最初は必ず「松山千春」に見える。
きょうも『新山千春すっぴん披露し後悔』というタイトルがニュースサイトに出ていて、
松山千春のあの顔は素顔ではなかったのか(ヅラですらなかった筈だろう)!!!
と本当に驚いてしまった。
・明日は英会話学校の授業で、「これまでの人生で一番怖かったこと」という
英語スピーチをしなくてはならない。……が、まだ何も考えていない。
というか、私のこれまでの人生で「怖かったこと」って何かなと考え始めると
これが案外、見つからないのだ。
凄い田舎暮らしをしていてイノシシにはよく会ったが、追いかけられたことはないし、
隣家が放し飼いにしていたボクサー犬に、祖母は咬まれたが私は襲われたこともなかったし。
地震は、01年3月の芸予地震(最大震度6弱、私のいた場所では震度5強)が最強だったが、
幸いなことに被災はしなかったし、結果としては怪我などもなく、
「シヌかと思った」というほどの出来事には、ならなかった。
確かあの日、家が俄にガタガタ言い始めたときには、皆で舅宅の居間にいて、
天井の照明が今にも頭上に落下して来そうなほど揺れたのを見たが、
私は、そんなことより、二階にひとりでいた娘を放っておけないと思い、
階段を駆け上がって上の部屋へ行き、娘の手を引いて階下まで連れてきた。
娘もさほどには動揺していなかった様子だった。
あとで訊いたら、家の揺れる音を娘は近所の工事の音かと思っていたそうだ。
それで、揺れが収まったあと見たら、舅と姑が手をつないでいたことと、
私が二階まで走って娘を連れてきた行為を「母は強しじゃ」と舅に褒められたこと(爆)、
という、妙なことしか記憶に残っていない。
私は一体、どういう神経をしていたのだろう。何も感じないほど深く動転していたのか。
記録を見ると、余震もあったことが書いてあるのだが、私は全く覚えていない。
現在なら、伊方発電所は無事!?とまず気にするところだが、当時はそれも全然考えなかった。
「今になってみるとあのときの自分が怖いと自分で思う」話だな、これは(汗)。