右腎結石は有り難いことにあれから特には悪化せず、
「真っ赤な出血」「あきらかな発熱」がなければ経過観察でよい、
という主治医の言葉を思い出して、きょうは家でごろごろしていた。
ごろごろしていたい理由が、きょうは、あった。
風邪をひいていることがわかったのだ。
そもそも一週間前、娘が咽喉痛と鼻炎と発熱で学校を休んだ。
それは最近ちょっと見たことがないほど症状の出揃った、
由緒正しそうな風邪で、彼女のハデなクシャミや咳を見ていたら、
「コレは早晩、私にウツるだろうな」
と思った。そして、数日を経てその通りになった。
だからこれは、私の「病のモグラ叩き」の一種ではあるけど、
「あのへんの穴から、そろそろ出るやろな」
と思っていた通りの穴から出てきて、だのにやっぱり叩き損なった、
というたぐいのモグラだった。
ご丁寧にこの風邪は主人にも同時に行った。
スッキリした顔つきの娘を尻目に、昨夜から主人と私は、
一週間前の彼女とよく似た状態になった。
高熱だけはなかったが、咽喉痛と咳と鼻炎はソックリだった。
それでも仕事を休むわけには行かない主人と、
既に軽い咳払いと鼻炎だけになった娘とを朝、送り出すと、
私は布団に戻った。専業主婦の幸福を満喫、という気分だった。
いっそのこと、きょうは療養日にしよう、と思った。
しかし日の高い時間からそんなにグッスリ眠れるものでもないので、
旧式なCDラジカセを枕元に引っ張ってきて設置し、
ポゴレリチのこれまでのCDを片っ端から聴くことにした。
今の私は、彼の音楽以外、受け付けられないのだ。
・・・と思ったら、なんと、驚いたことに、
私は彼のCDでさえ満足できなくなっていた。
特に、ショパンのピアノ協奏曲第2番を聴いていると、
『そんなに気楽にサッサと通り過ぎちゃうの!?』
『このあいだの演奏は、ここ!と、ここ!を強調していたはず』
『なんで、こっち!の音がカーンと聞こえてこないの!?』
とだんだん、イライラが募り始めた。
なんというか、どのCDも、それなりに圧巻ではあったと思う。
本来、ポゴレリチの演奏は80年代から決して「気楽」なものではなかった。
昔から、彼は考えに考え、突き詰めた演奏だけを記録して来た筈だった。
しかし、もはやこれらはひたすら完成度の高い「楷書」にしか見えず、
それしか知らなければそれで済んでいたものを、
破格のスケールの「前衛書道」を実演で見せて貰った今となっては、
もう、昔の記録をなぞるだけでは満足できなくなってしまったのだ。
自分、聴き手としてどこまでポゴレリチに毒されているんだと
我ながらボー然とした昼下がりであった。
病、膏肓に入る、とはこのことだ。