美輪明宏の広島公演、『葵上』『卒塔婆小町』を観て来た。
近代能楽集より『葵上』『卒塔婆小町』
先日来、頭の中のポゴレリチの音がどうしても消えないので、
きょうはもう、「毒をもって毒を制す」状態(爆)。
美輪様くらいに強烈な存在感で迫ってきて下さらないことには
今の私は、フツーのものなどは受け入れる余地がありません。
・・・と思ったのだが。
三島由紀夫の、テッテー的な美的追求と修辞の驚異的な綿密さとが、
ますますポゴレリチの音の世界に重なり、私は目眩がしそうになった。
つまりシンクロしただけだった(汗)。
最後に老婆の小町が、青年に向かって両腕を広げたとき、
頭の中の、先日来の残響が倍加して、私は心底ゾっとしてしまった。
このタイミングで美輪明宏の濃密な芸術を、
しかも三島作品で観たのは、失敗だった。
今だから感じ取ることのできたものがたくさんあったのは確かだが、
私の心身の許容量を考えると、いささか危険だった。
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ところで三島由紀夫が割腹自殺を遂げたのは45歳で、
今の私と同じ年齢のときだった。
私は未だに、なぜ三島由紀夫が自殺したのか理解できていない。
檄文は読んだことがあるが、もっと丁寧に読解しなければいけなかったのか。
彼なりに国を憂えていたことは読み取れるのだが、
それは人前で自決して見せないと、主張できないことだったのか?
そう思って主人に訊いてみたが、
「あれは結局、ようわからんのよ」
と苦笑されただけだった。
仕方がないので、日頃から私が、その知識を頼みにしている、
国文出身の友人にも訊ねてみたが、
「そうでしょ。あれってやっぱ誰にもわかんないんじゃないですかね~」
と言われた。
そうなのか(汗)。
しかし真相が何であれ、三島作品の強烈なエゴイズムについて考えれば、
「死」についてもやはりこの人は徹底的である以外には考えられず、
all or nothingなのであり、「いい加減」は我慢がならなかった、
ということだけは、私の頭でも想像はできるような気がした。