松江の思い出 | 転妻よしこの道楽日記

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主人が昨日から一泊二日の出張で松江に行っている。
(写真は、昨日主人が伯備線車内から送ってくれた雪景色だ。)
昨日のお昼は「みな美」の「鯛めし」を久々に楽しみ、
さらに県民会館のクレドールで「チョモランマ」を食べたそうで、
神代そばや京月堂のワッフルは持ち帰りにくいが、
かわりに和菓子の「若草」買ってかえろうか、等々と、
食べ物関連のメールが次々と来た(苦笑)。

94年4月から97年3月まで、主人は松江勤務だった。
前任地の福岡から初めて松江に移動したときには、
伯備線をただの在来線だと思ってナメていたので、
特急「やくも」の車内で字の細かい本を読んでいたら、
揺られに揺られて、見事に目がまわったものだった。
また、地理も全くわかっていなかったので、
車窓から見える中海を「宍道湖だな」と思ったりしていた。

福岡では、押し入れにキノコの生える官舎に住んでいたので、
松江の官舎は、入居当時、とても美しく思えて嬉しかった。
しかし、住み始めた途端、燃料がプロパンしかないと知り
(JR松江駅の北側に都市ガスの建物が見えていたのに、なぜ!?)、
更に、ひどく水圧が低く、風呂の水張りに2時間近くかかると学んだのは、
あれは確か、入居翌日だったか・・・。

しかし、松江の官舎は立地が素晴らしかった。
今も同じところにあの官舎の建物があるかどうか知らないが、
総合体育館や北公園のすぐそばだったのだ。
赤ん坊のいる家にとって、これほど恵まれた条件はあり得なかった。
松江の一年目の終わりに生まれた娘は、翌年春に公園デビューして以来、
「公園で育った」と言っても過言ではないほど北公園にはお世話になった。
なにしろ、朝起きて、支度してすぐ公園に行き、昼に帰ってお昼寝して、
目が覚めたら、午後遅くから夕方までまた公園、という毎日だったのだ。

総合体育館の屋内プールにも、娘を遊ばせるために、よく行った。
回数券を買っていたくらいだった。
娘は走っているか、水に浸かっているかすれば、機嫌が良かったのだ。
夏には、屋外で滑り台のある、県立水泳プールにも通った。
真冬だけは外で長時間遊ぶことは天気が悪くて無理だったが、
松江サティとか、当時まだあった「アピア」などの
ショッピングセンターに娘を連れて行って、
買い物がてら、屋内の遊具で遊ばせたものだった。

転勤族で、同じ官舎の人としか当初は交流がなかったが、
山陰中央新報文化教室の「朗読」講座で知り合いが増えたことや、
娘が生まれてからは、乳児院や公民館の、乳幼児教室などの催しや、
ピープルエグザスのベビースイミングの御陰で、ママ仲間が出来た。
育児は体力的にキツかったが、楽しいことも多い毎日だった。

松江での唯一の不満は、演奏会やお芝居が少なかったことだ。
松江市と宝塚市とは姉妹都市だという話だったが、
私のいた三年間は、ただの一度も、宝塚歌劇のツアーが来なかった。
めぼしい催しは、旧ソ連のバレエ団が一度来たことと、
クリスチャン・ツィメルマンのリサイタルがあったことくらいだった。
そんな中コンスタントに公演があったのは、劇団四季と阿国歌舞伎だった。

私自身は、松江の静かな暮らしはとても好きだった。
しばらくしたら、また転勤で行ってもいいかなあと思っていた。
主人は今後は転勤が多分なさそうな状況なので
(そうなると私のHNも有名無実になってしまうが)、
もう、松江に住む機会は巡って来ないのではないかと思うのだが、
今でも、あの街の淡々とした日常や、しっとりした冬の景色など
折に触れて、懐かしく思い出すことが結構ある。
小さい娘があちこちにいる、松江の風景は、
きっとこれから一生、私の心に、穏やかに残るだろうと思う。