
「お母様。オミヤゲです」
と今日、主人が職場から持って帰ってきてくれたのは
地元紙・中国新聞の夕刊だった。
夕刊の存在する地域は都会、というのが私の昔からの認識で、
それはともかく、どうして私が主人の「お母様」なのだろう、
というのも今は関係ないから、それもまたともかくとして、
何が載っていたかというと、『愛してま~す 忌野清志郎』。
中国新聞にまでこんな記事が載るなんて。
訃報以来、私は改めて、忌野清志郎の大きさを知り、
彼の遺したものの影響力が、今になってわかったりもして、
ファンとしてそれはとても嬉しくはあったのだが、
しかし、何かこう、連日の報道を読んだり聞いたりしていると、
『それは、清志郎の立ち位置とは違うのでは』
と、ぼんやり感じることも、ときどきあるようになった。
彼が時代を築いた先駆的英雄だったという主旨の称賛、
42000人の参列した葬儀は美空ひばりと同記録だなどという報道、
国民栄誉賞を授与したら良いのではないかという意見、
そういうのは、私の捉えていた清志郎とは、どこか相容れないものだ。
特に、国家的な権威づけや「お墨付き」など、
清志郎には一番似合わないと、私は思っている。
長い間、私たちだけのものだった清志郎が、
訃報以来、突然、大勢の人によって好きなようにされてしまった、
みたいな、・・・勘違いファンの我が儘なんだろうけど
たまに違和感を覚えるワタクシなのだった(逃)。
勿論、私の見た清志郎がすべてでないことはわかっているので、
私の希望なんか全然、この際問題ではないわけですが。