11日の夜、アブデル・ラーマン・エル=バシャのピアノを聴きに、
姫路のキャスパホールまで行った。
(前回2007年4月6日姫路公演の感想は、こちら)
モーツァルト:ピアノ・ソナタKV.332
モーツァルト:ピアノ・ソナタKV.457
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ作品27-2「月光」
ショパン:夜想曲 作品9-1
ショパン:夜想曲 作品9-2
ショパン:練習曲 作品25-1「牧童」
ショパン:ワルツ 作品64-1「小犬」
ショパン:ワルツ 作品64-2
ショパン:舟歌 作品60
ショパン:練習曲 作品10-3「別れの曲」
ショパン:練習曲 作品10-12「革命」
ショパン:練習曲 作品25-11「木枯らし」
ショパン:ポロネーズ 作品53「英雄」
(アンコール)エル=バシャ:「バッカス」
ショパン:夜想曲 遺作 嬰ハ短調
どれも素晴らしい演奏で、エル=バシャは超一流だと
これまでも幾度も思ったことを、また改めて感じたのだが、
今回、最も感銘を受けたのが、ショパンの『舟歌』だった。
非常に物語性を強く前面に押し出した演奏で、
私はほぼ初めて、この曲で描かれる情景を、
音だけを通して、視覚的に(!)体験させて貰った。
私はもともと『舟歌』はとても好きな曲であると同時に、
私にとって、ピアニストの試金石としての名曲でもあって、
この曲から、なんらかの響きなり情景なりを引きだすというのは、
選ばれた演奏家でなければできないことだと常々思っている。
まず、低音部のCis(・・・で合ってます私?爆)のオクターブで、
エル=バシャは、漕ぎだした。
余裕と自信のある漕ぎ手であることは明らかだった。
眼前に、静かに広がったのは、温かい晴天の、大運河。
こんなに視覚的な「舟歌」を、私は今まで聴いたことがなかった。
大きな波は無く、穏やかな風の中をゆったりと行くゴンドラだった。
何より凄かったのは、自分の視線が低いところにある、
つまり、水面とあまり変わらないところに今、自分が座っている、
という感触が、不意に、しかし自然に、再現されたことだった。
人の手が漕ぐ小さい船に乗って、水面に近い位置に座っているときの、
あの、周囲の音が水に吸い込まれていくような感覚が、
エル=バシャのピアノを聴いていると、手に取るように蘇ってきた。
穏やかな水の上に乗っている感覚、まわりの音に残響がなくなって、
波音と船を漕ぐ音だけが、自分を包み込んで来るような気分。
櫂の静かな水音や、船の軸先に当たる小さな波の気配、
そこから飛び散る、きらきらとした水しぶき。
水面に光が反射して輝き、そこにゆらゆらと左右の建物の姿が映り、
エル=バシャのゴンドラは、ただ、穏やかな運河を進んでいった。
櫂と水音だけの、静かな世界で、ひとつひとつ展開される風景は
それぞれに小さな起伏があり、生き生きと美しかった。
ある種の芸術的表現を通して、アーティストは、
観客に「感覚の再現」を経験させることができる、
というのは、これまでも感じていたことではあったが、
エル=バシャが『舟歌』で実現してみせたものは、私にとって、
「共感覚」や「色聴」の実体験そのものだった。
ピアノという、誰が弾いても同じ音程の音が出せる楽器で、
あのように途方もないことが実際に可能であったとは、
エル=バシャ畏るべし!と私は改めて、思った。
知的でエレガントなエル=バシャにはいつも騙されそうになるが、
彼が内に秘めている世界はとてつもない深淵を持っている、
ということを、再度、痛感させて貰った演奏会だった。