4日に、姑の通院介助をして、胃瘻のキャップ交換と
胸部レントゲン撮影とを病院でして貰ったのだが、
特養の内科医の指示により、今度は肺のCTを撮って貰うために
明日、別の診療所に出向くことになった。
下肺野に影があるので気になるとのことだった。
ああ。「検査」。
この言葉には、なんて人の心を重く暗くする響きがあるのだろう。
姑は発熱と咳・痰が多いうえに、昔の結核の跡もあり、
以前、家で療養していた頃も一度、肺のCTに問題があり、
しばらく追跡したことがあったので、
今回も何か映っている可能性は高いだろうと思う。
病気の正体がわかり、より適切な投薬等によって症状が和らぐなら、
是非そうして貰いたいし、万が一、老人性の結核の憎悪などの場合は、
入院等も考えないといけないから、放置はできないと思う。
しかし、苦痛を増す精密検査や積極的治療は望まない、
というのが家族の意向で、これは舅の存命中から確認済みなので、
仮に今回の検査で、悪性疾患が疑われるような所見があったとしても、
これ以上、胸腔鏡や気管支鏡などによる検査はしないで、
症状コントロールのみに充分な重点をおいた治療を考えて欲しい、
と、園にも主治医にも前にも言ったが、再度、伝えたいと思っている。
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言ってはナンだが、姑は、あの煙突のような舅と四十年連れ添った。
あの生活が、体に良かった筈はなかった。
もっとずっと元気だった頃、姑は煙草の煙に辟易しつつも、
「ほんまは、ケムたいんじゃがね。気持ち良う喫いよってのに、
うちがイヤじゃ言うたら、悪いと思うてね」
と私と二人だけのときに苦笑していたものだった。
実際、舅宅は、未だに玄関を開けただけでヤニがにおうし、
舅姑が主に過ごしていた居間など、白い壁紙が真っ茶色になっている。
姑が完全に快適だったとは、どうしても思えない。
だが舅はこれに関しては信じられないほどポジティブだった。
「ばーちゃんは、絶対に、肺ガンには、ならん!」
と舅は晩年、断言していた。その根拠は、
「わしと、四十年一緒におって、毎日、煙草の煙を吸うても、
あんに(あの人=姑)は、どうもなかったんじゃ。
今更、肺ガンになんか、ならん!」。
それは、喫煙どころか、飲酒やその他、身に覚えが全くなくても、
今にも病気になりそうで怯えている私には、到底あり得ない心意気だった。
なんとかして、舅のあの自信を分けて貰いたいと、よく思ったものだった。
今でも本当にそう思っている(苦笑)。