先日、どういう話のなりゆきだったか忘れたのだが、私が、
今まで自分が知り合ったS学会の会員さんたちは、
皆、とても親切で、良い人たちだった、
という感想を言ったら、主人が、
「どぞ」
と、『日本の10大新宗教』(島田裕巳・著)を貸してくれた。
今までも書いたように、主人は親の代かその前からずっと浄土真宗で、
転勤族一家は某寺院の檀家であるから、私も門徒ということになるのだが、
そもそも私の方の実家の父は神社神道、母方は浄土宗、
そして今、うちの娘の行っている学校はプロテスタントで、
私もまた若い頃から、よく、あちこちのキリスト教会に行っていて、
かなり傾倒していた時期も幾度かあり、近寄ったり離れたりして来た。
つまり我が家はある意味、典型的な日本人的宗教環境(爆)なのだ。
宗教に対する私の感覚は、あまり定見は無いのだけれども、
なんであれ信仰を持つのは悪くないと感じており、
なんらかの宗教的な教えに触れることによって、
魂が存在するか否かなどの問題について考えを深めたり、
他者のために働くことを喜びと感じられるようになるのなら、
そういう世界を持たない人生より、それは幸福なことだろう、
と思っている。
先に書いた通り、私自身の信仰とは接点がないが、
これまで出会ったS学会員の人たちは、皆、とても誠実だったし、
転勤先で知り合った、某R友会系新宗教団体の信者さんたちも、
他人に対してとげとげしさの無い、落ち着いた方々だった。
心の中に「神様」や「仏様」があったり、
教理などにより、絶えず生活を正す努力をしているというのは、
見事なことだなあと私は彼ら彼女らを見て思ったものだ。
「それは布教のカモになりそうなアナタに親切にしただけ」
と、私の話を聞いて言った人が、今まで実際にいたのだが、
しかし彼ら・彼女らの誰も、私に対して布教もお祈りもしなかった。
ただ、自分たちに信仰があることを話してくれただけで、
あとは普通の、居心地の良い友人知人関係を築いてくれたのだ。
だいたいが、キリスト教だって仏教だってイスラム教だって、
今は歴史があるから、世界の三大宗教として定着しているが、
発生した当時は、それぞれが新興宗教だったのだ。
今、世間的に「新興宗教」と見なされているものだって、
これから年月を経て信者数がさらに拡大して行けば、
世界的な宗教として認知されるときが来るかもしれないと思う。
この『日本の10大新宗教』でも、あらゆる宗教は最初に、
「新宗教」として登場する、ということが説明されている。
そして、この本に関して私がとても良いと思ったのは、
いずれの宗教に対しても、著者は研究者としての立場を貫き、
社会の中での位置づけを解き明かすことに字数を費やしており、
宗教の内容そのものへの主観的評価は下していない、という点だ。
歴史的に社会批判の対象になった事実や出来事には触れているが、
筆者はそれを根拠にして、特定宗教を否定する記述はしていない。
ときに、個人的に目からウロコだったのは、第二章の『大本』だ。
私はかつて大学入試を受けたとき、某大学の日本史で、
『大本教の弾圧について100字以内で説明しなさい』という問題が出て、
大本のオの字も知らなかったために、大変、途方に暮れた、
という忘れがたい思い出があったのだ。
この本を読むことで、その問いに関する詳細な回答を、
四半世紀を過ぎてようやく手にした思いだった。
もっとも、たった100字で、一体何を書かせたかったのか、
出題者の意図については、いっそう、謎が深まったが(爆)。