サンソン・フランソワ | 転妻よしこの道楽日記

転妻よしこの道楽日記

goo blogサービス終了につき、こちらにデータをとりあえず移しました

私は今でも、とうに亡くなったギーゼキングとか、
現在はピアニストとしての時代を終えた感のあるヴァーシャーリなど、
レコードの時代に活躍したピアニストを非常に愛しているのだが、
この、サンソン・フランソワという人も、その中のひとりだ。
彼は1970年に没しているので、亡くなってから既に30年以上経っている。

存命中に既に人気ピアニストであったので、三度、来日しているそうだが、
私は残念ながら、彼の実演には全く接したことがない。
私が小学校に入ったかどうかあたりの年齢のうちに、
彼はこの世から居なくなってしまったのだから、
生の演奏が聴けなかったことは致し方なかったと思う。
だが我が家には彼のレコードが何枚もあった。私はそれで彼に出会った。

レコードに記録されているサンソン・フランソワは、
大変ユニークなピアニストだった。
ショパンやラヴェル、ドビュッシーを得意としたが、
その演奏は他の多くのピアニストとは全く異なり、
およそ規範的とは言い難い、彼独自の、自由奔放なものだった。

と書くと、私のポゴレリチ趣味をご存知の方なら、
「つまりアナタはそういう変わった演奏家に惹かれる癖があるのね」
とお思いになるかもしれない。
確かに、ふたりとも、その個性ゆえに、
何を弾いても演奏者個人が前に出てしまうタイプの演奏家ではある。
「ショパンを聴くというより、それを通してサンソン・フランソワを聴く」
「ベートーヴェンを聴くというより、それを通してポゴレリチを聴く」
という聴き方を私がしているという意味では、両者は同じだと思う。
だが私にとって、サンソン・フランソワの面白さは、
イーヴォ・ポゴレリチとはある意味、正反対の位置にあるものだ。

良い悪いの評価はともかく、ポゴレリチも物凄く変わっている演奏家だ。
彼の演奏を聴いて、ごくまっとうな普通の演奏だと言う人は居ない。
だが、ポゴレリチのは、どんなに突飛に聞こえる演奏であっても、
その裏には、彼なりに緻密に詳細に組み立てた根拠が必ずあって、
それは思いつきの、その場限りの演奏ではないのだ。
同一曲について幾通りもの解釈を彼自身が持っていたとしても、
そのすべてについて、出発点も展開も帰着も、
予め、彼の中では揺るぎないところまで突き詰められている。
少なくとも、私は聴いていてそれを感じる。
ポゴレリチの演奏はそういう意味で、一点も揺るがせにできない、
非常に執拗に組み立てられたものなのだ。

だが、サンソン・フランソワのは違う。
一発勝負で、どこに行くかわからないスリルが常にある。
それは聴く者に、次々と思いがけない扉が開かれる興奮を与えてくれる。
厳然たるクラシックを演奏しながら、それはまさに即興演奏であり、
あまりにも非凡な彼の感性の、一瞬ごとのきらめきがそれを支えている。
これほどに瞬間のひとつひとつを輝かせることのできた演奏家は
ほとんど空前絶後と言っても良いくらいだろう。
そこが彼の天才たる所以なのだ。
普通はこんなことをしたら、薄っぺらな矛盾だらけの演奏になり、
支離滅裂以外のなにものでもなくなってしまうだろう。

その感性に響いてこない曲は、彼は、だから手がけなかった。
私の知る限り、サンソン・フランソワの弾いたブラームス、
などというものは聴いたことがないし、
彼のベートーヴェンというのもあまり記憶にない。
聞くところによると、この人は楽譜の読み方もいい加減で、
演奏には読み誤りか彼独自の改編かわからない箇所がよくあったようだ。
そういうところも、楽譜!楽譜!と異常なほどこだわるポゴレリチとは
まったく相容れない部分だ。
表面に現れた演奏そのものは、「楽譜の指定に反する(ように聞こえる)」
という点で、フランソワもポゴレリチも似ていると言えるかもしれないが、
そこに至る経緯は、この両者においては、多分、真逆に近いのだ。

ということで、昨日私は、サンソン・フランソワの弾く、
ラヴェル『夜のガスパール他ピアノ曲全集第二集』を買ってきた。
レコード時代には知っていた演奏だが、CDは持っていなくて、
こうして改めて聴くのも久しぶりだった。
出だしの『オンディーヌ』で既に、彼のテンポは普通ではなかった。
そのまま行くのかと思ったら、途中でオンディーヌの表情は変わった。
最初に聴いていたものが何だったのか、私にはわからなくなった。
どこまでも正体不明のオンディーヌは、
何をしたいのか、何を言っているのか、
およそ常人にははかりかねる存在だった。
だが彼女はこの世のものでないのだから、
私の日常で納得できる理屈とは違う次元にいて当然だ。
美貌で、妖艶な、狂気のオンディーヌは絶品だった。
否応なしに、こんなものを見つめ続けなくてはならなかった、
サンソン・フランソワというピアニストは、
長生きできなくて当然だったのだと思った。