三回忌法要のあと | 転妻よしこの道楽日記

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昨日は、舅の三回忌法要を無事に終えることができた。
出席者の顔ぶれは、昨年の一周忌と全く同様で、
皆様に来て頂くことができ、舅も喜んでいたのではないかと思う。

姑は、法要の間、すやすやとよく眠っていた。
T園で会うときはあまり変化を感じないのだが、
こうして外泊で帰ってきて家で一緒に過ごしてみると、
姑が、緩やかに緩やかに「老衰」しているような気配が、
今回は、幾度となく感じられた。
どこがどうという変わりようではないのだが、
すべてにおいて、なんとなく反応が緩慢になり、
姑から見た世の中は、以前より更に、曖昧にぼやけているようだった。
ただ、穏やかで落ち着いていることは相変わらずだった。

舅宅で過ごしたこの数日の間に、偶然耳にしたのだが、
舅が生前に仲良くして貰っていた、近所の御主人様が、
この夏、ガンで亡くなられたとのことだった。
舅とは、四半世紀前、互いに家を購入して以来のご近所づきあいで、
奥様にもとても良くして頂き、舅の葬儀のときには
お元気だったご主人様が、帳場を預かって下さったほどだった。
私たちも、勿論、今までいろいろなことでお世話になり、
頼らせて頂いてもいた。

奥様にお悔やみを申し上げたところ、
年明けからご主人様は、いつにない体調不良が続き、
検査して病気がわかったのが2月頃だったそうだ。
「転舅さんが、あんな大きな手術をされたあとでも、
ちゃんとお元気で何年も自由にお過ごしになっていたのだから、
大丈夫、おじいさんも良くなりますよ。頑張りましょう」
とご夫婦で舅のことを話題にし、励みにして下さっていたと仰った。
こんなふうに思い出して頂けていたとわかったら、
舅も有り難いことだと嬉しく思ったのではないだろうか。

ご主人様は、しかし、ご高齢もあり体力の衰えが早かったようで、
先月の終わりにお亡くなりになってしまわれた。
「あっという間に、私のほうが、おいていかれてしまいました。
でも、主人が、今でも、病院におるような気がするんです」
と奥様がタオルでお顔を拭きながら仰った。
「夜、家に私ひとりで寝ておっても、主人がおらんとは思わんのです。
もう今までずっと、半年ほどが、そんな生活でしたから。
主人が、また、ひょこっと帰って来るような気がして。
まだ、私、本当には理解できておらんのだろうと思います」

ご家族、とりわけ奥様にとって、
受け入れがたい悲しみであることは想像に難くない。
しかし客観的には、御年齢の点から言っても、長く病まれることなく、
奥様とお子様方に手厚く看取られ、安らかに逝かれたことは、
ある意味、お幸せであったかもしれないと思った。
その点、舅の場合は、最後の日々にそばにいることが出来たのが、
私であって、姑ではなかった、ということが気の毒でならない。
姑に、少なくとも、その数年前くらいの体力があったなら、
舅はもっと心安らかに、姑に甘えて、
人生の終わりの時間を満たされて過ごせたのではないだろうか。

しかし別の面では、少し、良いと言えることもあったかもしれない。
舅本人は先に逝ったことで、「つれあいを失う悲しみ」を知ることがなく、
また、舅が亡くなったとき、姑は既に別の世界でまどろんでいたから、
「おとうちゃん」を亡くしたことに直面せずに済んだ。
一般的な意味での幸運とは違うけれども、
「あとに残されるつらさ」を、ふたりとも味わうことがなかったのは、
いくばくかの幸せではあったかもしれないと思った。