きょうはポゴレリチの来日公演初日、
東京サントリーホールでのリサイタルだった。
私は遠距離なのと体調不良なのとで、聴きにいくことなど
到底、できない状況だったが、
皆様から速報メールを頂戴し、本当に感激した。
ファン的に聞けば、とても彼らしい演奏会だった模様で、
私も、自分でこのあとの大阪公演に行ければと思っている。
勇気ある異才、旧ユーゴのピアニスト・ポゴレリッチ来日(朝日新聞)
(上記記事がリンク切れの場合は、こちら)
一昨年の来日のときに思ったのだが、今の彼がしていることは、
ある程度、これまでの前提を踏まえて聞いてこそ、
その意味合いがわかる、というものではないだろうか。
過程をすっ飛ばして、いきなり現在の彼だけを聞くと、
なぜそんな演奏をするのかがわからず、わからないだけならまだしも、
音楽としての「美」と思われている部分が否定されているようで、
大変、腹立たしく思うのが、多数の感覚ではないかと私は想像している
(一目惚れなさる方が皆無とは断言しないが・爆)。
たとえば私が、なんの予備知識もなしに、
2005年10月のポゴレリチのリサイタルたった一回だけを聞いたとしたら、
おそらく今のようなファンにはなっていないだろうと思うのだ。
そういう意味で、「勇気ある異才」という見出しは当たっている。
彼は聴衆(の一部)から否定されることは承知のうえで、
現在の演奏を行っていると私は思う。
彼がそうしたいのなら、私はただ、それを聴かせて貰うのみだ。
私がファンとしていつも願っていることは、
ポゴレリチに、今現在の彼が自分で良いと信じるとおりの演奏を、
私の前で、実現して貰いたい、ということであって、
その演奏を聴いて私が、何を、どう感じるかは、また別の問題だ。