ルイサダ ピアノ・リサイタル・続 | 転妻よしこの道楽日記

転妻よしこの道楽日記

goo blogサービス終了につき、こちらにデータをとりあえず移しました

というわけで昨夜は、ジャン=マルク・ルイサダの
ピアノ・リサイタルを、西区民文化センターで聴いた。

私が彼の名を知ったのは、85年にNHKで放映された、
『第11回ショパン・コンクール~若き挑戦者たちの二十日間』
という番組を観たときだった。
これはブーニン・ブームの火付け役となった番組だが、
この中で、年齢制限ぎりぎりの27歳で参加したフランスのルイサダが、
前回の80年のときは極度の緊張のため演奏が乱れてしまい落選したので、
今回二度目の挑戦にあたって、自己コントロールを様々に工夫して来た、
というようなことが紹介されていた。
ルイサダは、みごと本選に残り、5位入賞となった。

私はあのあと、88年のポゴレリチの神奈川公演でルイサダに会い、
ルイサダと仲良しの某氏の紹介で休憩時にルイサダと直接話すという、
物凄い経験をしてしまった。
(詳しくは、http://www.geocities.jp/rc1981rc/polonaise.htm
ルイサダはいつも笑顔で、他人を不愉快にさせる言動が全くなく、
常に繊細な心配りで周囲の空気を明るくなごませる人だったが、
そのことは、彼がいかにデリケートな神経の持ち主であるかを
如実に物語っているとも私には思われた。
初対面の人たちの気分を、瞬時にそこまで細かく捕らえるというのは、
このうえなく細やかな神経がなければ、決して出来ないことだからだ。

昨日のリサイタルも、その彼の繊細さと、
人を愉しませたいという生来のエンターテイナー性とが、
完全に同居した演奏になっていて、
雰囲気は終始、和やかで明るいものだった。
仮装ぴあにすと様もお書きになっているので、詳細は省くが、
登場したときから、観客に「コンバンハ」と日本語で語りかけたり、
演奏前にうっかりと手が鍵盤に触れて音が出たときには、
ちょっとおどけた仕草で驚いてみせたりして、
ルイサダは、聴衆を、そして多分自分自身をも、
充分にリラックスさせて、演奏会を行おうとしていた様子だった。

内容的には、ピアノ講師のルイサダ先生とは別人の演奏だったと思う。
彼が今、最も興味のある弾き方を追求するとああなるのだろうか?
微妙なテンポの揺らぎと、彼一流の改編?の入った、
ユニークな、ベートーヴェンの『悲愴』、
内声や低声部が不意に強調されて、
「こんな音があったのか」と新鮮な印象の、ショパン『ソナタ3番』、
・・・・それはもしかしていつかどこかで聴いたコンセプト(爆)。

特にショパンには、ある段階まで到達したピアニストを、
『もっともっと分解して味わい尽くしたい』
という道に誘い込む何かが、もともと、あるのかもしれない、
と昨夜はルイサダの思いがけない演奏を聴いて思った。
ショパンの、とりわけ後期作品は、
物凄く秀逸なポリフォニーだと私は常々思っているのだが、
その一音一音が、ある種のピアニストを虜にするのではないだろうか。
ルイサダ先生、その道はもしかしたら、命取りかも知れません(爆)。
そのうち激遅で弾きたくなり、テンポの常識を根底から疑うようになり、
ひとつずつの音を聴いても聴いても満足できなくなり、
しまいに、音に没入するあまり楽譜を見ながら弾くようになって、
客には「単なる練習不足」としか見えない演奏をするようになります(逃)。

それはともかくとして、後半は、ウエーバーの『舞踏への勧誘』が、
最もルイサダ的な、華やかでお洒落で愉しい仕上がりだったと思う。
終盤、フライングして拍手した観客がいたが、
ルイサダは、右手で続きを弾きだしながら、
「チッチッチ」と言うように左手人差し指を客席に向かって振って、
ニコニコして、余裕で終わりまで弾いた。

アンコールはマズルカが二曲だったが、
拍手で舞台に呼び出されても、それ以上は弾かなかった。
何度目かのとき、ステージに出てきて、ピアノに向かって一礼し、
楽器に感謝する仕草をして見せたのも、とても素敵だった。