昨日、テレビのニュースで、アナウンサーが、
「岡本太郎の作品を平和都市広島に誘致・・・」
と言ったとき、主人が、
「おいおい。敬称はつけんのか」
とツッコんだ。
良い機会なので、この日記における、
「敬称」に関する私の見解をここで明らかにしておきたい。
私は、身近な目上の方々や、ご近所、身内以外の年長者、
および、自分と同等前後の年齢の相手には、必ず敬称をつける。
成人かそれに近い年齢なら、相手が年下でも、
文章体のときは「~様」を原則にしている。
日常生活のおつきあいの中で、尊敬している方に対しては勿論だ。
が、その人が、ある一定以上の公的なステイタスを確立した、
と自分の中で感じたときには、私はもう、敬称をつけない。
例えば、「福沢諭吉」とか「本居宣長」などに、
人権意識ゆえに敬称をつける人は少ないと思う。
彼らは死んだ人だから呼び捨てで良いのか?勿論それは違う。
近所のおじーさんなら、三十三回忌だろうが私は敬称をつける。
「湯川秀樹」「川端康成」「美空ひばり」、
彼らは不動の地位を確立し歴史上の人物として定着したから、
敬称などなくても、その名が成立するまでになったのだ。
これは実は、大変なことだと思う。
生きている人に関しても、私は似たような感覚を持っている。
「さん」とか「氏」とかつけないと失礼にあたる、
などという間は、その人は自分と地つづきのところにいるか、
少なくとも、局所的著名人の域を出ていないと思う。
世界的な存在になった人は、敬称なしで通用する、と私は感じるのだ。
オノヨーコ、小澤征爾、利根川進・・・このあたりの人に、
「さん」なんかつける感覚は、私には無い。
「氏」とつけるのは、文章中ならぎりぎり許容範囲、とは思うけれども。
呼び捨てに耐えられるほどの名前なんて、普通そんなにない。
つまり、私が敬称をつけないで書くというのは、
自分にとっては、よくよくの場合であって、
ひとつのブランドに等しいくらい、その人のステイタスを感じている、
ということだ。
なので、冒頭の「岡本太郎」の件だが、
「まあフツーに有名よね」という程度の認識なら「岡本太郎氏」、
「世界的に不動の地位を築いた芸術家」と思うなら「岡本太郎」、
と使い分けたいのが私の感覚だ。