ロシア演劇の話・閑話 | 転妻よしこの道楽日記

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先日来、ロシア演劇の話題をここに書いていたら、
大学でロシア文学を専攻なさった某氏からメールを頂戴したのだが、
その方とのお話で、当時、ソ連が日本で、かなり警戒され、
場合によっては毛嫌いされていた国だった、ということを、
私は今更ながら思い出した。

私がロシア演劇を知るようになったのは83年なのだが、
これは大韓航空機撃墜事件の年だった。
ミハイル・ゴルバチョフの書記長就任が、これより後の85年だから
(ブーニン優勝の第11回ショパンコンクールの年でもある)、
ソ連がペレストロイカによって大幅に改革されて行くのはまだ先で、
八十年代前半といえば、日本人にとってソビエト連邦は、
依然として脅威以外のなにものでもなかったのだろうと思う。

メールを下さった方のお話によると、大学を決めるときに、
ロシア文学科のあるところに行きたいと言ったら、
ご家族が揃って大反対で、
『文学なら、国文でも英文でも仏文でもいくらでもあるのに、
なぜ、よりによって露文なのか、卒業しても困るだろうに』
と、ご両親とも大変な心配をなさったということだった。

そうなのだ。
実はうちの母も言ったのだ。
母のは、もっと単刀直入だった。

女がロシア語だなんて。アカだと思われて縁談に差し支える

私がレーベジェフだとかバシラシヴィリだとかに心酔して、
春休みに帰郷してもロシア語のテープばかり聞いていたので、
母は、とうとう私が赤軍派に入ったと勘違いしたらしい(爆)。

親が教養科目や第二外国語のことにまで口を出すかと、
私は呆れて相手にしなかったのだが(←親不孝者は昔から)
今回のメールで判明した通り、よそのお宅でも大なり小なり、
ロシアと聞くと親御さんはご心配になり、反対なさったということなので、
うちの母の考えたことも、あの世代の人としては、
まあ標準的なものだったのかなと今にしてわかった(^^ゞ。

その点では、19歳だった私が、ソ連やロシア語に対して、
全くなんの偏見も持っていなかったことは、自信を持って断言できる。
そういう意味では私は幸せだった。
なんら先入観を持つことなく、ただソビエト演劇の素晴らしさだけを
真っ新な状態で受け入れることが出来たのだから。


・・・とゆーか。
私はあまりにも不勉強だったので、ソ連がどういうものか、
自分なりの把握すら、全然、できていなかったのである(爆)。
なにしろ、聖ワシーリー寺院の写真をみて
美味しそうやな(^o^)」と思っていた程度の学生だったのだから。