北天佑 | 転妻よしこの道楽日記

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元大関の北天佑急死、早すぎる45歳(日刊スポーツ)

昨日いちばんショックだったニュースはこれだ。
あまりにショックだったので昨日はすぐには書けなかったくらいだ。

私が格闘技が好きなことは既にバレているので隠さないが、
先代若乃花(間垣親方のほう・念のため)で相撲にハマった私が、
いちばん熱中して応援したのが、北の湖だった。
その北の湖と同じ三保ヶ関部屋の、弟弟子として、北天佑は、
私にとって決して忘れることの出来ない、印象的な力士だったのだ。

昭和59年、北の湖は既に絶頂期を過ぎ、引退が囁かれる中、
五月場所で奇跡の復活を遂げ、連勝で13日目を迎え、
この日も、横綱千代の富士との対戦で順調に13勝目を上げていた。
その大一番のあと登場したのが、北の湖と同部屋の大関・北天佑、
対するは横綱・隆の里(当時は横綱がこんなにごろごろ居たんですね、
しかも全員、日本人・爆)。

ここで北天佑が隆の里を下せば、13勝の力士はほかに居なくなり、
この場で、北の湖の24回目の優勝が決まる、という勝負で、
北天佑は結局、見事に期待に応えて引き落としで勝ったわけなのだが、
土俵を降りるとき、土俵下の控えにいた北の湖と目を見交わし、
日頃、ほとんど表情を変えない北の湖が、このときばかりは、
北天佑を見て、一瞬だがニっと笑ったのが、とても印象的だった。
私はこれを、手に汗握り、ずっと生放送で見ていたのだ(^^ゞ。

力業の相撲と、精悍な姿、それに響きの美しい四股名とが気に入り、
私は北天佑をかなり贔屓にしていたのだが、
次代の横綱になることは出来ず、徐々に勝負強さがなくなって
大関のまま引退してしまったのは残念だった。
だが彼は私の中で、ずっと、大切な思い出の力士のひとりだったのだ。
それがまさか、こんなかたちで急逝してしまうとは!

北天佑の名勝負の数々をこうして記憶していることが、
彼の、冥福を祈ることに繋がるかなと今は思っている。
それにしても、あの頃の相撲は私にとって本当に楽しかった。
後ろ向きに懐古しても仕方のないことだとはわかっているが、
ああ、本当に、良い時代だったなあと思わずにいられない。
そこで北天佑が果たした役割は実に大きかった。
二十山親方、ありがとうございました。