倉田百三『出家とその弟子』を読み返した。
初めて読んだのが中学二年生のときだったから、
四半世紀ぶりにこの本を手に取ったことになる。
14歳の私が何を思ってこの話を読んだのか、
今となっては思い出せないのだが、
こうして四十過ぎて改めて読んでみると、
この戯曲の奥深さには非常に打たれる。
最も罪深い者にこそ、御仏の救いが与えられる、
という親鸞の浄土思想が、どれほど深く、
魂の慰めとなり得るものか、
恐らく、十代半ばの私には
感じ取れなかったことだろうと思う。
著者26歳時の作品と解説にあり、恐れ入ってしまった。
人生五十年と言われた時代には、
26歳は既に折り返しの年齢だっただろうし、
自身も胸を病んでいた倉田百三にとっては、
死が日常的に自分を脅かすものであっただろうと思う。
その状況下だからこそ、この研ぎ澄まされたような、
究極の宗教文学とも言える作品を
生み出すことが出来たのだろう。
現代の我々は平時に誰も彼もが結核で死ぬことは稀だし、
人生も平均的に八十年前後あっても不思議はないから、
そのぶん、人は皆、精神的に良くも悪くも安定してしまい、
哲学的な思索にふけることが減ったのではないだろうか。
ふける人もないではないと思うが、多くの場合、
そこに一瞬の命の燃焼を賭けるかのような、
追いつめられた気分には、ならなくなったのではと思う。
豊かで安定した生活が約束されたからこそ、
現代人の精神性は堕落したのではないだろうか。
もうひとつ、今の歴史授業では、宗教史というものを
ほとんど扱っていないということも私は感じた。
欧米でキリスト教が歴史と切り離せないものであることに較べ、
日本の仏教は、門徒数が多いにもかかわらず、
文化史の一画という程度の扱いであることが多いと思う。
法然は浄土宗、弟子の親鸞が浄土真宗、
と「一問一答」みたいな用語集で暗記するのが、
私の知っている歴史の学習方法だったのだが、
実際に当時の仏教が人の思想にどういう影響を与えたか、
どれほどの力を持っていたかなどは、
授業でも教科書でも、ほとんど、
触れられていなかったのではないだろうか。
少し話が逸れるが、信長が比叡山を焼き討ちしたのは、
単に彼が、政治と宗教の分離を目指すためにやったとか、
激昂しやすい異常性格の男だったから、とかではなくて、
比叡山延暦寺が、それほどに強大な宗教的指導力を持ち、
信長の命さえ、手玉にとるほどの存在だったからだ、
という方向で考えてみるというのは、どうなのだろうか。
信長が本当におそれていたのは何だったのか、
彼が焼き討ちを敢行してまで封印したかったのは何なのか。
当時の仏教がどれほど恐ろしいものだったかを考える、
という視点が、歴史授業の中にあっても、
良かったのではないか、と今にして思う。
(尤も、こういう考え方は、あまり突き詰めると、
マルキシズムとどこかで衝突してしまうので、
歴史授業の「偏向」を避けるためには、
触れないのが無難だった、ということかもしれない。)