中世絵画の楽しみ | 転妻よしこの道楽日記

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指揮者の佐渡裕氏が、ポゴレリチに関するコメントをしている箇所があるというので、
きょうは、NHK『夢の美術館』の録画を途中まで観たのだが
(ポゴレリチに関する部分はivo_at_the_ivoriesをご参照頂けましたら嬉しいです)、
私はここで、中世絵画というものがいかに笑えるかを発見してしまった。

中世では、まだ遠近法が確立していないし、総体的に絵の技術が未発達で、
人物の表情など、現代の感覚で見ると不自然きわまりないものが多々ある。
これらが、後にルネサンスを経て、血の通った豊かな表現力を持つ芸術へと、
見事な飛躍を遂げることは、世界史や美術史で習った通りで、
そういう流れの中では、中世の絵画は一種の過渡期のものであり、
橋渡し的な意義のあるものとして鑑賞できる、ということは、わかっている。

・・・のだが。
それにしても、きょう見た中世絵画の数々には、腹がよじれてしまったのだ。

例えば、「受胎告知」。私の見た絵は、ダヴィンチの名作と異なり、
ガブリエルの視線は「うろん」な感じだし、マリアもあらぬ方を眺めていて、
やる気あるのか大天使!』『ちゃんと話、聞けよ!
とツッコみたい雰囲気があった。
どえらい告知の現場だというのに、ふたりはかなり、よどんでいたのだ。

ゴルゴダの丘へと十字架を背負って登るキリストの図は、
聖性を表現する光の輪が、まるで「直径50センチのお皿」みたいで、
側頭部に巨大中華皿を貼り付けて、隙間から巧い具合に十字架を背負う
というキリストの器用さに私は驚嘆させられてしまった。

キリスト降架図のマリアも、憂いに満ちているというよりは、
どんな非常時にも、睡魔には勝てません
の図だとしか思えない顔をしていたし。

また、聖フランチェスコの前に、イエスの姿をした天使が現れる、
という絵では、そのキリストそっくりさんのサイズがやや小さめで、
しかも例によって目線が「じろ」としていて、天使なのに羽根は黒々、
それを左右に広げて飛んでいる姿はまるで凧、
これはもう、どう見たって邪悪。
おやっさん、ショッカーのばけもんだ!!
と私は内心、キャプションをつけてしまった。
フランチェスコ、惑わされないようにな。見るからに怪しいぞ。

キワメツケは、聖母昇天の絵で、このマリア、なぜかやや下ぶくれ。
しかも目つきが悪く、ムっとした顔をしていて、
言っちゃあナンだが、うちの娘が無愛想にしているときの顔にソックリ

私に鑑賞眼がないというのが一因であることは間違いないので、
中世絵画のお好きな方にはお許し頂く以外にないのだが、
いや~、私はこれら作品の数々をネタに20分くらいは笑えた。
中世絵画の画集、今度、一冊欲しいわね、と私はやや本気で思った(殴)。