昨日の『白い巨塔』を見て、疑問に思ったことがあった。
判決で「『助かりたいなら手術』と言い切った財前は独断的で、
患者に対する充分な情報提供をしなかった」ように言われていたが、
私の印象では、初診を受け持った里見助教授がそもそも、
「治療は手術だ、是非とも財前に」
という決めつけ方をしていたのでは?という気がする。
この点についての反省は無いのか。
舅が食道癌患者だから、私なりに治療法については調べたし、
病院側からなされる説明についても、少しはわかるつもりだ。
私は『白い巨塔』を見ながら、佐々木が外来でCTを撮ったあたりから、
どんな理由で、治療方針が手術と決まるのだろうかと興味を持っていた。
なぜなら、今や食道癌治療は、内科的に放射線と抗ガン剤の併用を行うことで、
手術に相当する治療成績をあげており、侵襲の大きい外科的切除よりも、
内科的治療が新たな注目を集めていることを知っていたからだ。
佐々木の病期は初期という設定で、選択の幅がある筈だったから、
手術に向かうには、それなりの根拠が要る、と私は思っていた。
なのに、この里見は、
最先端の医療に携わる大学病院の助教授であり、
しかも破格に優秀な内科医という設定がありながら、
いとも簡単に「手術だ」と判断した。
なぜ自分の専門である内科的治療をもっと探求しなかったのか。
更に言えば、内科的治療を行った後それでも成績があがらなければ、
外科的に切除することを考える、という順序も可能だし、
術前化学療法という選択だってある。
にも関わらず里見は、診断がつくやいなや、外科にまわした。
「手術が最善。財前は優秀な外科医だ。安心して任せて下さい」
的な言い方で患者を励まし、内科的治療についてはろくに説明もせず、
外科に渡した張本人は、里見だったのだ。
放射線・抗ガン剤より手術の適応だ、というやりとりが、
里見と財前の間で一応なされていたが、それは勿論、患者には説明されなかった。
少なくとも、うちの舅のときは、
外科医が手術の詳細を、内科医が抗ガン剤・放射線治療の見通しを説明し、
選択は結局、患者本人がしたものだったのに。
検査段階で懸念が出てきた時に周囲の助言を容れなかったという点では、
財前はいささか独善的で医師としての誠実さを欠いたと思うが、
術前説明のことをそれほど責められるべきだとは、私には思われなかった。