広島という土地柄なので、私の身近には被爆者の老人が結構多い。
『原爆で人生を変えられてしまった』と今なお語るおじいさんもいれば、
被爆者団体から声がかかり「語り部」にならないかと勧められても、
『あの体験だけは一生口にできない』と断っているおばあさんもいる。
しかし、事実は事実なのでその通りに書くが、
『原爆にあってから、すっかり体の具合が良くなった。
手帳まで貰った。年金もついた。なにもかもピカのお陰じゃ』
と公言していたおじいさんも、私はひとり知っている(爆)。
彼は若い頃からだが弱くて、長くは生きられないと言われていたのに、
被爆以来、急激に全身の不調が改善されて、
見事に元気になったのだそうだ。
癌の治療にさえ使う放射線だから、
適量あびればかえって体には良かったのか?
医学的に、これは説明のつくことなのだろうか??
彼は九十歳近くまで元気で野良仕事して、
大往生で亡くなったのだけれど。
さて、うちの姑も被爆者だ。だが被爆者手帳は持っていない。
ずっと元気だったし、無用な税金を
頂くほどのことはないという舅の考えで、
姑は明らかな被爆者でありながら、なんの申請もしなかったらしい。
確かに今に至るも、原爆症のような疾病は出てきていないのだが、
パーキンソン病が重くなって病院と縁が切れなくなったので、
もし手帳を交付して貰っていれば、医療費が軽減されたのに、
と舅はさすがに最近ちょっと後悔しているようだ。
という話を、夕食のときにしていたら、
「おばーちゃんは、原爆に遭っているの?」
と娘が尋ねるので、主人が、
「市内の工場で作業中に被爆したんだよ」
と説明して聴かせた。
主人は以前、姑から体験談を聞いたことがあったようだ。
「作業してたら、ピカ!と光って、物凄い風が吹いてきて、
おばあちゃんはびっくりして、咄嗟に机の下に隠れたんだと」
「机が近くにあって良かったね」
「ちょうど作業用の机があったんだろ」
すると姑が横合いから、
「ほんま?」
と疑わしそうな目で主人を見た。
主人はうろたえて、
「おかーちゃんが原爆に遭うたんじゃろ。覚えとるか?」
「覚えんでええわいね」
「そうは言うても」
「明後日は、きょう会う人に、もういっぺん会わんといけんのじゃからね」
「………?」
「じゃけ、あんたとは月に1回は、会いましょう!」
姑に強引にまとめられて、この話は終わった。