自分の今の大きな目標のひとつ、『オリジナルの吹奏楽団の設立』。
その目標に向かって現在少しずつ準備を続けています。

活動する以前に、まずは設立するための団体の”核”となるメンバーを集めている段階なんだけど、これが意外と大変。
心から本当に信頼できる仲間っていうのは、たくさんいるようで、実は突き詰めて行くとすごく少ないことに気づく。

自分がやりたいと思っていることや考えていること、その価値観なども含めて話し合えて、共感でき、そして目標や問題点を一緒に共有しあえる仲間、となると、なかなか難しくなってくる。正直、理想の楽団の設立なんていう目標を達成するのは、到底無理なことなのかと落胆する瞬間も正直あった。

でもそれでも信じてやって行こうと思う。
そう思える仲間が、少なからずいるってことも改めて認識することができた。そんな仲間のためにも、こんなことであきらめている場合じゃないって思うし。それにまだ、僕の目の前には理想の楽団、理想の音が広がっている気がする。

最近、ある楽団の演奏会に行ったのだけれど、複雑な心境だった。
その演奏会を最後に引退して行くメンバーにはものすごく思い入れがあった。
自分が所属していた頃、何度も励まされ、立ち上がることができたのもこの学年の後輩たちがいたおかげだと思う。たくさんのジレンマの中で指揮をふる僕にとって、とても大きな力となっていた。そのメンバーがこの楽団を引退する、大切な演奏会だった。

演奏も決して悪くはない。
ただ、その裏での段取りやそれまでの道のりがまずかった。
一見華やかなステージのその裏でうずまく多くの理不尽さ、不条理さ、むなしさがあったと感じた。演奏自体は特別目立って悪くはないのだが、ひたすら冷たい印象。観客の心を踊らせるような、目をぱっと見開かせるような、あるいは優しい気持ちにさせてあげるような、そんな演奏では残念ながらなかった。
たとえば色彩で言えば、薄くて暗い紺色から黒へのグラデーションがそこに広がっていた。しかもそれは客席中を包み込むでもなく、ステージに滞って見えた。

その原因はいろいろあるのだろうけど、僕がすくなくとも感じとれた要因だけでもたくさんある。まず心が通じていない。目が合っていない。感じ合っていない。ただ、必死で一生懸命。しかし楽しそうではない。
少なくとも、あのステージで一緒に立ちたい、とまでは感じられなかった。

はたしてどれだけのメンバーが、本当の意味でやりきって引退できたのだろうか。
心から「これだ!」と思える演奏ができたと感じる演奏ができたのだろうか。

疲れきっていた僕の目が、あるいは耳が曇ってしまっていただけなのだろうか。
もしそうなのであれば僕自身をきれいに洗い流さなければいけないんだろう。
もしくはこの心さえも曇ってかすんでしまったのか。
それならば一度生まれ変わらなければならない。

彼らは、きっとものすごく精一杯の演奏をしたに違いない。
数々の困難を乗り越え、完成して達成した姿があのステージだったのだろう。

けれど僕は、僕の楽団では、すくなくとも、あのとき観た、聞いた、感じた音楽にはしたいとは思わない。
もしも、心から満足できる演奏が目の前にあるのであれば、今、自分が自ら創りだそうとは思っていないだろう。

この手で、仲間たちの手で、どこまでのものが生み出せるのか、それはわからない。あるいはもっと無惨なステージを迎えてしまうことになるかもしれない。

雲って見えたその舞台からも退き、自分の居場所がなくなり、陸の孤島にたたされた今、僕はあらたに仲間をあつめて船に乗り込み、ここから進みだすしか道はないのだ。

それでも今は信頼できる仲間がいる。それだけでも大きな励みとなっている。

曇ってしまったこの目と耳、心を洗い流し、本当の汗と、涙をながせるような楽団を創らなければならない。創りたい。
そしてこれまで、僕をささえてくれたたくさんの仲間たちに、僕の音楽の成長と、みんなが支えてくれたことへの感謝を、音に込めて、ステージに現していきたい。

きっと実現できると信じている。
なぜなら、宙に浮くかのようなきれいな色彩、優しいく力強い音のイメージが今でもまだかすかに残っているから。かっこ悪くてもいい、しがみついてでもがむしゃらに自分たちの音楽を追求していきたい。そのためには前進しかないんだと思う。


『吹奏楽団設立Project』は、そのために、ゆっくりとしずかに動きだしている。
そして着実に何かを残し、伝えていけるような、そんな演奏をめざして。