大学に入学してから4年間、とことん付き合うことになった団体、
wind orchestra Dolce。
これまでに本当にたくさんの思い出と経験を、ここで積むことになった。
苦しいことも、楽しいことも、辛いことも、うれしいことも、この4年間、
そういった強い感情はいつもこのDolce と共にあったと思う。
5月。入部直後、これほど居心地の悪い楽団はないと思った。
指揮者、先輩の言動、行動すべてに疑問を抱き、その団体のあり方、
そのものに対して不信感を隠しきれなかった。
周りに自分の意見や疑問をぶつけていくうちに、この楽団にとどまる
ことに対する疑問はMAXに達していた。けど、それでも考え方や気持ち
を共感できる仲間とも出会うことになって、踏みとどまる。
6月。少しずつ楽団の雰囲気になれてくる。
2002年6月。早慶戦観戦。
この頃から、同じような考えを持つもの、逆の考えを持つもの
の違いなどの認識が生まれてきた。そして、この楽団において
これまでにどんな問題があったのか、そして今はどんな問題が
あって、これからどこへ向かおうとしているのか、情報の整理が
だんだんと出来てくる。
7月。初めてのステージ。
2002年、7月。七夕祭。
大学で最初の大きなステージになった。
まだまだ納得のいかないことは山ほどあったけど、それでも
この楽団のいいところも少しずつ、見えてきた。
しかし、大切なものが欠けているような気がしてならない。
8月。自分が去るか、全身でぶつかってみるか。
その選択を迫られることになった。
「指揮者をやってみないか。」
その言葉はあまりにも以外で、まったく予想しなかった展開
に、そのときの驚きは今でも忘れない。
2002年、8月。同期で親睦合宿。
様々な不振感を抱きつつも、同期との距離は縮まっていく。
彼ら同期の仲間達を、がっかりさせるようなことはしたくない。
そう心に思うようになる。
9月。Dolce の指揮者として、初めて指揮台にあがる。
2002年9月。初の合宿。
この合宿で指揮者として初めて棒を振ることになった。
曲は「久石譲アニメメドレー」。
ポップスでもともと知っているメロディーも多く含まれる曲だったから
特に不安はなかった、はずだった。
指揮台で一度曲を始めると、曲とは思えないような、音と音の大喧嘩
が目の前で繰り広げられた。頭の中に確かにイメージはあるが、しかし
それをどう伝えればいいのか、どこから修正すればいいのか、そのとき
全く考えられなかったのを今でもはっきりと覚えている。
指揮台の上は、自分の疑問と不振に対する自分の主張を試す場であり、
少しでも分かり合えてきた仲間達との意志の確認の場でもあった。
でもそれは、とても苦しく、恐ろしいほどまでに自分を痛めつける場でも
あったことに気がつく。
11月。最初の定期演奏会。そして4年生の引退。
2002年11月。秋の定期演奏会。
この頃になると、同期の結束はますます強くなってきていた。
Dolce で初めての定期演奏会で、自分にとっても初めての
指揮者としてのステージを経験した。
自分の無力さ、未熟さを深く痛感しながらも、すこしずつ、
Dolce の中の「何か」をこの手で動かすことができた、という
感触をつかむことが出来たのを覚えている。
当時の4年生はこれで引退することになるが、それでも次の
年からは一人の団員として、そして一人の指揮者として、また
気持ちを入れ替えて挑戦していこうと心に決めた日でもあった。
2月。4年生の卒業。同期との結束。
2003年2月。スキー旅行。
自分たちの学年、という認識はもうかなり強くなってくる。
初めて顔を合わせた頃は、本当にそれぞれまったく違った性格と
考え方をもっていて、はたしてうまくやっていけるのだろうか、なんて
不安がもの凄くあったが、こんな仲間達とここまで仲良くなれたのも
Dolce があったからこそ、そう思えるようになってきていた。
この楽団で音楽をやると決めなければ、決して知り合うことのなかった
だろうといえるくらい、それまでに付き合ったことのない、新しいタイプの
仲間達と、大学の4年間、ずっとうまくやっていけるといいな、そんな風に
思った冬の旅行だった。
・・・つづく。





