大変ご無沙汰しております。。。何とか東京で生きております。
元旦にアメリカから日本に戻り、また音楽のない生活を送っていましたが、一昨日、現在の住まいから3分の所にある某コンサートホールで、アレクサンダー・ガブリリュクのコンサートがあることに気が付き、ふらっと一人で出かけてきました。
残っていた鍵盤側のエプロン席を購入したところ、ちょうど奏者の背中の真ん前でした。そのため、手元はほとんど見えなかったのですが、代わりにものすごく良く見えたのがダンパーと奏者の背中でした。
ダンパーの話は、後にするとして。。。
まず驚いたのが音がとても大きいこと。これほどピアノが鳴るものか?と思うほど、ピアノは鳴りまくっていましたが、弱音も美しく、驚きのダイナミックの幅でした。
そして、その大きな音を支える、芳醇な響き。
とにかく一音ずつの響きが巨大で長い!ピアノの真上の席だったからなのか、良い意味での意図した残響がよく聴き取れました。右ペダルしか使っておらず、かつ踏みかえているはずなのに、なぜかベースの音がずっと残っているように聞こえるのです。(サステインペダルもつかっていませんでした)ピアノの周囲全体に立ち上る響きは、まるで目に見えるかのようで、びっくり。
当然、奏者もその響きの効果をフル活用しようとしているわけで、曲の最後のフェルマータのついた和音などは、より長く伸ばし、少しずつ減衰していく響きを聴かせるようにされていました。ちなみに鍵盤から手元を離して、ダンパーに残る音だけで曲を締めくくるなど、おそらく奏者の耳に聴こえている以上の響きを真上にいた私は聴かせてもらった気がしました。
そして、百花繚乱の音色。ほぼドイツものに特化したプログラムでしたが、カラフルな音色を駆使して、メロディーラインを限りなく前に出して、それが声部が入れ替わるごとに、違う声で朗々と歌い、信じられないほど立体的な音楽を作り出していました。そのテクニックで演奏されたシューマンの「子供の情景」は、垂涎もの。(実際、マスクの内側で口はひらっきっぱなしでした。。。)
そして最も驚いたのが、思いがけず奏者の背中の真ん前に座ったことで、よく見えたダンパー。目に見えた踏みかえの細かさは、耳で聞くのとは全く違いました。とにかく細かい!!これはある意味、音色以上の驚きで、最初から最後までダンパーの上がり下がりから目が離せませんでした。足だけ見ていても、あのタイミングと細かさはわからなかったと思います。あの席に偶然座れて、本当にラッキーでした。(これからはあの席を買おう!)
それと、左ペダルを使うタイミング。「弱音ペダル」と言いますが、彼はそのペダルを曲のクライマックスの大音量の中で主に使用していました。最初にリストのタランテラのクライマックスで鍵盤が左右に動いているのを見たときに、思わず「えっ?」と言ってしまったのですが、確かにクライマックスの大音量の中で、細かく鍵盤が左右に動いていました。彼は、弱音のために踏んでいるのではなく、微妙な音色の違いを生むために踏んでいるのでしょう。(弱音は指でコントロールできるから、私のようにペダルに頼る必要はないですし)「弱音ペダルは、フォルテッシモで使う!」目からうろこでした。もちろん師匠も弱音のために弱音ペダルは使いませんが、たぶんフォルテッシモの中では使わないと思います。
そして、最後に。
アンコールの最後、2曲目にひいた、ラフマニノフのヴォーカリーズ、涙がこぼれるほど美しかった。私の中ではこれまでに生で聴いたVocaliseのベストは、遠い昔に上野で見たヴォロドスのものだったのですが、それを上回る美しさでした。記録更新!
ピアノ全体が響きの幻に包まれているような長い幻想を見た夜。
そうだ!会場全体が非常に熟成したムードだったのも、重要なファクターでした。自分勝手な拍手やコールがかかることもなく、会場全体で最後の響きの一滴まで楽しみつくす!そういう一致した強い思いが感じられるような素晴らしい一合一会の夜でした。
