訃報 | ROMANCE GREEN

訃報

<訃報>平光清さん73歳=元セ・リーグ審判部副部長

個人的に、このお方にはこの件で深い思い出がありまして...

92年9月11日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)で二塁塁審を務めた際、外野フェンス上部に当たってスタンドに入った打球を本塁打と判定。その後、エンタイトル二塁打へと判定が覆り、その責任を取る形で、同年のシーズン終了後に退職した。

この試合、観に行ってました。
レフトスタンドの前の方で見てまして、八木の打球がフェンスの段差の部分でヘンな跳ね返り方をしたのはハッキリ覚えています。

そのままスタンドインしたので、線審がいないのでホームランになってもおかしくはないかなと思い、「悔いの残るサヨナラ負けだなぁ」と思ってました。

飯田・城の喰らいつきに同調した野村監督が抗議に出るまでは。

基本的に抗議があったとしても覆るはずもなく、この肝心な時に誤審で負けとか野球に対する見方までも変わってしまいそうな気もしたんですが、本当に判定が変わるとは思いませんでした。

覆ったからこそ声を大にして言えるんでしょうが、やっぱり言わせていただきます。
「幻のホームラン」とよく言われますが、アレはまぎれもなくホームランではなく、エンタイトル2塁打でした。

その後、岡林は8回から15回まで「完封」したものの引き分け。連敗中だったスワローズは翌日からも連敗が続き、結局9連敗まで引きずってしまいました。大型連敗の真っ最中だったとはいえ、よくこの引き分けがホントに命拾いになったとは言われてます。まさにそうでした。

その日、15回表が終わって勝ちが無くなった時点で甲子園から引き揚げ。
乗った電車が阪神梅田行きの最終で、深夜バスとタクシーを乗り継いで帰宅。テレビをつけたらその試合の録画中継が始まってましたwww

結局翌日は昼まで寝てて、その日の当日券に間に合わず。その翌日のために甲子園に向かい、徹夜で並んじゃいました。

その経験が、10月10日(優勝を決めた試合)に前夜で完売した自由席券を入手し、「帰れコール」にまみれながらのスワローズ優勝を見届けることに繋がりました。

「全ての責任は私が取る」

と言って判定を覆した平光さん。
あの判定が無かったら、90年代のスワローズはなかったかもしれません。

ご冥福をお祈りいたします。