老人の死について考える
たまにはちょっと真面目に議論できるだけのベースを作ってみます。最近、老人の死に関するニュースが多く取り扱われています。毎日.jpの記事の中で、福祉や家族の問題に詳しい樋口恵子・東京家政大名誉教授(78)は「日本の福祉行政は、子供と同居する高齢者を支援の対象と見てこなかった。今はだれもが、身近で困っている人を助けたり行政につなげなければ立ち行かない“1億総介護者時代”」と指摘する。とありました。行政への不満をあらわにする人もいます。さて、地方公務員って、何を目的に仕事をしているのでしょうか?市区町村のすべての人が正しく管理されている状態を作ること?市区町村のすべての人が健康で文化的な最低限の生活を営める状態を作ること?違うと思います。目的を決めるのは公務員ではないはず。国会議員です。で、今の日本は自由社会主義を目指そうとしてるんですよね?であれば、人件費削減という指針が間違っているんじゃないでしょうか?公務員手厚くして、介護・医療も手厚くして、増税ですよね。結果、労働者に負担をかける。これが正しいかどうかはまた別の問題です。先日、労基署に行きました。事業仕訳のあおりを受けて、現場の人すごい忙しそうでした。先日、生活保護センターに行きました。必要な資金が足りず、貸し渋りしてました。少なくとも、目的と目的に対する指針がぶれている気がします。さて、年金暮らしをして、社会との交流を絶っている人が亡くなって、気づかれなくて、何が問題なのでしょう?言い方は悪いですが、ボクは何も問題ないと思います。年金の不正受給については、年金という制度に余計な負荷をかけることになりますし、これを防ぐには厳罰化が必要じゃないですかね?もっとも、不正受給した年金でしか暮らせない人が懲役になると、それはそれで生活が保障されるから悪くない気もします。と言って、悪いことをする人がいるから、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を認めることで、社会の安全を作ろうとしてるんですね。最近ようやくそのことに気づきました。やっぱり、やってみないと分からないことがいっぱいです。さて、ここで、日本国憲法ってよくできてるなと思います。よく見ると、健康で文化的な最低限度の生活を営むことを「保障」しているわけではなく、「権利」を有するとしてるんですね。生活が困窮して・・・。仕事のために・・・。お金がなくて・・・。全ていいわけですよね。本来持っている権利を行使しなかっただけ。自分でその行動を選んだんでしょ。きつきつの生活ですが、なんとか暮らせますよ。若干、制度上の不備は感じましたが、まぁ、何とかなる域じゃないでしょうか?大事なのは、何をしないといけないのか、どうありたいのか、それを示すことじゃないですかね?以前、コインランドリーでおばあちゃんとお話しました。何度か顔を合わせていたのですが、お見かけしなくなりました。しばらくするとおばあちゃんの家と思われる家が取り壊されてました。何があったのかは分かりません。孤独死を避けるためには、お話しているだけじゃなくて、お家に行く仲にならないといけないんですね。それって結構ハードルが高いです・・・。困っている人がいたら、解決のための方法を伝えてあげる。それがボクにできることなんでしょうね。こんな日記が誰かの目に留まって、何か考えるきっかけになればいいなと思います。