相変わらず、体罰のニュースが世間を賑わせてます。
にぎわせてってこんな字だったんですね。
先日も体罰の定義について書きました。
毎回アナウンサーの気になるコメントでしめられます。
「体罰と愛の鞭の違いが難しいですね。」
「体罰ととるか、愛の鞭ととるか、信頼関係が大切です。」
そんなこと言ってるから、体罰がなくならないんじゃないの?
と思ってしまいます。
なぜ、法律で禁止されている体罰を容認しようとするのでしょう?
少なくとも学校教育においては学校教育法第11条ではっきりと否定されています。
今日は愛の鞭について調べてみました。
あい‐の‐むち【愛の鞭】
愛するがゆえに厳しく叱りつけること。その人のためを思ってする叱責。
しっ‐せき【叱責】
[名](スル)他人の失敗などをしかりとがめること。「部下をきびしく―する」
デジタル大辞泉より
なるほど、表現から勘違いされますが、実は愛の鞭という言葉に、
手を上げることの意味は含まれないんですね。
そもそも、誰が愛の鞭って言い出したんだろう?
と思って、語源を調べてみました。
ブログでしか情報が見当たりませんでしたが、こちらのブログに
語源についての記載がありました。
ホメオパシーのある暮らし
http://plaza.rakuten.co.jp/chakra1110/diary/200805050000/
話は、古代ヨーロッパまでさかのぼるようです。
イエス・キリストがそうされたように、当時の処刑方法として、
十字架への磔がありました。
健康な人を磔にすると、死ぬまでに3日間位苦しむことになります。
そこで、早く死ねるようにあらかじめ鞭で打って体を弱らせる。
これが愛の鞭の語源のようです。
だとすると、そもそも教育に対して使う言葉ではないですね。
最近、「子供」の「供」が供えるという意味を持つから、これを嫌って
「子ども」と表記されるようになってきましたが、
そんなレベルではなく、使うべきじゃない言葉。
誰がこんな言葉を教育の現場に適用したのでしょうか?
今朝の報道では、
アメリカの帰国子女にインタビューして、
アメリカに体罰はないという話が紹介されていました。
流石にそんなことはないだろうと思って、こちらも調べてみました。
たいばつ【体罰】
((inflict)) physical [corporal] punishment ((on))
ちゃんと言葉として存在しているようです。
こんな記事も見つけました。
Physical punishment doesn't help, it hurts
http://edition.cnn.com/2011/11/09/opinion/sendek-corporal-punishment/index.html?iref=allsearch
しかし、アメリカで生活した少女に、アメリカに体罰はないと語らせる。
そういう文化ができるのって素敵ですね。
女子柔道の園田隆二監督は言い訳めいた会見で
「日頃より、選手に対して信頼関係をもってやっていこうと考えていたが、
15人の選手が(告発文を)出したということで、
一方的な信頼関係だったと深く反省している」
と語っています。
そんな中途半端な信念で暴力を振るっていること自体が間違えています。
体罰を容認するのであれば、誰に何を言われても、
「あの時手を挙げたことは、生徒を成長させるために必要なことだった。
手を挙げたことによって、今の○○がある。
もし、あの時手をあげていなかったら、○○はこういう大切なことを理解することができなかった。」
位の発言ができる信念をもってやってほしい。
全ての行動に対してそういう発言ができないのであれば、
そもそも手を挙げる資格はないってことですね。
ところで、この問題、園田隆二監督はやめることになったみたいですが、
東京オリンピック誘致に深刻な影響を与える可能性がありますよね?
全日本柔道連盟はどう責任を取るのでしょう?
任命責任うんぬん言ってますが、そういう問題ではないですよね。
一度告発された。それに対して事態は解決していると思った。
その判断が間違っていたわけですよね。
判断が間違っていたから、JOCに対して再度告発をされた。
そのことが事態を大きくした。
さらに、適切な公表を行わなかった。
「若い選手たちの将来を考え表に出さない方がいいと思った」
一見、選手を配慮したように見えて、選手は全然そんなことを望んでいなかった。
だから再度告発したわけですよね?
全日本柔道連盟が適切な判断をしなかったせいで、
東京都民が数年の時間をかけてオリンピックを誘致しようとしている活動が失敗に終わる。
こんな責任、正直取れないと思います。
よく責任をとって辞任しますとか言いますがそういう問題ではない。
連盟をあげて、全力で誘致活動に取り組み、何としても成功させます。
とか、そういうことですよね。
選手たちも、こんな報道が過熱することが分かってる時期にこんな告発して、
その結果に対してどう責任取るんですかね?
時期とか他への影響とか考えていると、なかなか行動できないというのも事実です。
どこを対象に、誰が幸せになるために行動をするか。
難しいテーマです。
各自が自分たちだけよくなる選択を繰り返すと、
全体として必ずしもよい結果が得られるとは限らない。
囚人のジレンマですね。
そして、話を分かりやすくするために、東京オリンピックの実現はいいこととの
前提で話をすすめましたが、そもそも何がいいことなのかという議論は
また別にあると思います。
世の中をよくするのって本当に難しいですね。
とりあえず、学校教育の現場から暴力がなくなることを願います。
にぎわせてってこんな字だったんですね。
先日も体罰の定義について書きました。
毎回アナウンサーの気になるコメントでしめられます。
「体罰と愛の鞭の違いが難しいですね。」
「体罰ととるか、愛の鞭ととるか、信頼関係が大切です。」
そんなこと言ってるから、体罰がなくならないんじゃないの?
と思ってしまいます。
なぜ、法律で禁止されている体罰を容認しようとするのでしょう?
少なくとも学校教育においては学校教育法第11条ではっきりと否定されています。
今日は愛の鞭について調べてみました。
あい‐の‐むち【愛の鞭】
愛するがゆえに厳しく叱りつけること。その人のためを思ってする叱責。
しっ‐せき【叱責】
[名](スル)他人の失敗などをしかりとがめること。「部下をきびしく―する」
デジタル大辞泉より
なるほど、表現から勘違いされますが、実は愛の鞭という言葉に、
手を上げることの意味は含まれないんですね。
そもそも、誰が愛の鞭って言い出したんだろう?
と思って、語源を調べてみました。
ブログでしか情報が見当たりませんでしたが、こちらのブログに
語源についての記載がありました。
ホメオパシーのある暮らし
http://plaza.rakuten.co.jp/chakra1110/diary/200805050000/
話は、古代ヨーロッパまでさかのぼるようです。
イエス・キリストがそうされたように、当時の処刑方法として、
十字架への磔がありました。
健康な人を磔にすると、死ぬまでに3日間位苦しむことになります。
そこで、早く死ねるようにあらかじめ鞭で打って体を弱らせる。
これが愛の鞭の語源のようです。
だとすると、そもそも教育に対して使う言葉ではないですね。
最近、「子供」の「供」が供えるという意味を持つから、これを嫌って
「子ども」と表記されるようになってきましたが、
そんなレベルではなく、使うべきじゃない言葉。
誰がこんな言葉を教育の現場に適用したのでしょうか?
今朝の報道では、
アメリカの帰国子女にインタビューして、
アメリカに体罰はないという話が紹介されていました。
流石にそんなことはないだろうと思って、こちらも調べてみました。
たいばつ【体罰】
((inflict)) physical [corporal] punishment ((on))
ちゃんと言葉として存在しているようです。
こんな記事も見つけました。
Physical punishment doesn't help, it hurts
http://edition.cnn.com/2011/11/09/opinion/sendek-corporal-punishment/index.html?iref=allsearch
しかし、アメリカで生活した少女に、アメリカに体罰はないと語らせる。
そういう文化ができるのって素敵ですね。
女子柔道の園田隆二監督は言い訳めいた会見で
「日頃より、選手に対して信頼関係をもってやっていこうと考えていたが、
15人の選手が(告発文を)出したということで、
一方的な信頼関係だったと深く反省している」
と語っています。
そんな中途半端な信念で暴力を振るっていること自体が間違えています。
体罰を容認するのであれば、誰に何を言われても、
「あの時手を挙げたことは、生徒を成長させるために必要なことだった。
手を挙げたことによって、今の○○がある。
もし、あの時手をあげていなかったら、○○はこういう大切なことを理解することができなかった。」
位の発言ができる信念をもってやってほしい。
全ての行動に対してそういう発言ができないのであれば、
そもそも手を挙げる資格はないってことですね。
ところで、この問題、園田隆二監督はやめることになったみたいですが、
東京オリンピック誘致に深刻な影響を与える可能性がありますよね?
全日本柔道連盟はどう責任を取るのでしょう?
任命責任うんぬん言ってますが、そういう問題ではないですよね。
一度告発された。それに対して事態は解決していると思った。
その判断が間違っていたわけですよね。
判断が間違っていたから、JOCに対して再度告発をされた。
そのことが事態を大きくした。
さらに、適切な公表を行わなかった。
「若い選手たちの将来を考え表に出さない方がいいと思った」
一見、選手を配慮したように見えて、選手は全然そんなことを望んでいなかった。
だから再度告発したわけですよね?
全日本柔道連盟が適切な判断をしなかったせいで、
東京都民が数年の時間をかけてオリンピックを誘致しようとしている活動が失敗に終わる。
こんな責任、正直取れないと思います。
よく責任をとって辞任しますとか言いますがそういう問題ではない。
連盟をあげて、全力で誘致活動に取り組み、何としても成功させます。
とか、そういうことですよね。
選手たちも、こんな報道が過熱することが分かってる時期にこんな告発して、
その結果に対してどう責任取るんですかね?
時期とか他への影響とか考えていると、なかなか行動できないというのも事実です。
どこを対象に、誰が幸せになるために行動をするか。
難しいテーマです。
各自が自分たちだけよくなる選択を繰り返すと、
全体として必ずしもよい結果が得られるとは限らない。
囚人のジレンマですね。
そして、話を分かりやすくするために、東京オリンピックの実現はいいこととの
前提で話をすすめましたが、そもそも何がいいことなのかという議論は
また別にあると思います。
世の中をよくするのって本当に難しいですね。
とりあえず、学校教育の現場から暴力がなくなることを願います。