二十歳になろうという若君が嗣子(後継ぎ)と決まって慌てたのは傳役(爺)の三太夫。どうせ上手く行って何処か小藩へ養子にでもと思っていた。西国の大藩の藩主が勤まるかどうかは育て親の自分の責任。
「気立てのいい美丈夫だが、ひとつだけ腰が軽いという難がある」

あれやこれやで譜代の藩の姫を娶り子供ももうけて藩主となった。幕府や大名同士の付き合いもそつなくこなしている「若殿」だった。しかし代々江戸詰めの三太夫は国許には付いて行けない。

若殿は参勤交代の道中も直ぐ駕籠を降りて歩きたがる、見たがる、聞きたがる。本陣では話しも面白いし聞き上手で主人を始め皆が若殿に付きっ切り。

さてお国入りだが大貫禄の筆頭家老以下の重臣達が恭しく迎える。
若殿は江戸言葉で「何でも気軽に宜しく頼む」だけ。
さて城下では、若殿は活き活きとしてまるで江戸にいる気になっているよう。

郡方となると代官所や庄屋の家へ泊まる。もう相手が睡眠不足になるくらい江戸の調子が出てしまう。
「美しい娘子よのう、江戸でも見たことがないくらい」がいけなかった。

確かに美形の庄屋の娘だが本人は終始耳まで赤くして、ぽー。
郡奉行と庄屋の深夜会議がもたれて娘は夜伽に・・・・。
「一人娘というではないか、決まった相手もおろう」と諭されたのは庄屋。
「近々又来るから祝言は早く挙げておけよ、でないと掻っ攫うぞ」

普請方では現場の人足の中へ入って行ってもっこの片方を担いでみる。
「これではきつかろう、皆酒と博打は程々にして、良く食って寝ろよ」
「何であそこまで」と普請奉行が若殿の腰の軽さを諌めた。
一言「皆痩せておる」(若殿は江戸でそんな連中も十分見てきた)

さて国許を一巡した後の重臣会議。筆頭家老が口火を切った「若殿の言動に軽率の難これあり」
この藩は諫言をもって臣道としているから手厳しいし実に細かい。まるでCIAかKGB。

しかし「拙者の一存であの庄屋の娘はお城に上げ申した」と郡奉行。本人が望み破談となり、庄屋は養子夫婦を入れたとのこと。

普請奉行は「若殿には大きな仁に富まれた言がおありである。動に腰の軽いところがあるのは我々臣下のせいでもあると存じる。今日を限りに国許では若殿との呼び方は止めようではありますまいか」

このようにして若殿はやっと殿様と呼ばれるようになった。それを便りに聞いた江戸の三太夫はほっと肩を落とした。


                                                (Feb.7,2005)

 
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