筑後屋は藩御用達の大店(たな)であった。一人息子の栄助は両親から厳しく育てられた。幼年期から丁稚達と同じく読み書き算盤に礼儀作法。しかし栄助はそれだけでは飽き足らない少年に育った。「剣術を習いたい」と言い出した。

両親は「お武家相手の商売に役立つなら」と近所の町道場に通わせてくれた。道場主は束脩(授業料)他をはずんでくれる筑後屋はありがたかった。自ずと栄助の訓育に勤めた。他の侍の子弟に劣らぬようにと四書五経(学問)まで指導した。

何時しか栄助が青年になる頃には城下一の使い手ではとの噂まで。しかし栄助は普段の商売にも熱心な筑後屋の若旦那だった。

頓馬な押し込みがあったもので、流れ者のごろつき浪人七人が金のありそうな筑後屋に強盗に入った。七人がかりが忽ちの内に栄助の峰打ちで伸ばされてしまった。その内の一人が額への打撲で、もう一人が拍子で出た突きで死亡した。

町奉行所は「町人の栄助のやり過ぎ(過剰防衛)ではないか」と上申した。
「栄助が吟味にかかるのでは・・・・」と両親はもうはらはらだった。

対して、栄助が自慢でたまらない道場主も上申した。
「峰打ちにて五名の命が助かっている。二人を死なせた未熟者故に今後も剣術修行と学問を積ませたく」

藩の重役達は悩んだ。全てを聞いた殿様は一言。
「殊勝じゃ、捨扶持でも与えて家臣とせよ」

栄助は早々と嫁をとらされ筑後屋の主人とされた。
「お前はあくまで商人なのだから、腰を低くしておけ」と両親に言われた。
しかし藩内の侍達の誰もがびびる御用商人ができてしまった。
「あ奴はいざとなれば七人も切り殺せる・・・・」

もちろん栄助の通う町道場は大いに流行って道場主は喜んだ。


                                                (Mar.1,2005)

 
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