三百石以上の武士は槍持ちを従えて旅をする。これは建前で、天下泰平、質素倹約(本音)、槍は省略して旅をする場合が多い。しかし上下関係に煩い封建時代は武士の格付けで揉めることも多い。旅籠(はたご)はこういうことに気を付けなければならない。

番頭の京助は「やばい」と思った。見晴らしのいい二階の部屋に(家来なしの)若い平侍風の四名を泊めて、直ぐ下の一階の部屋に侍主従の三名を泊めてしまった。
「先着順だからしょうがない。その内外出から帰る主人夫婦に挨拶に出てもらおう」と考えた。

主人夫婦の帰りが遅い。京助は宿帳を持って各部屋を回った。
聞くと二階の平侍風は何と大藩の馬廻役達。皆若いが三百石位の禄はもらっているだろう。一階は小藩の目付で同じ位の禄高だろう。

杞憂ではなかった。酒が入る頃になると二階で大騒ぎ。一階の小藩の目付の小者が京助に文句を言ってきた。京助は二階の侍達の身分を教えて「お恐れながら」と二階へ上がった。

「我々が騒いだのは悪い。しかし武士のくせに何故直接言いに来ぬ」と四名は怒った。京助はピンチ。ところが意外にも小藩の目付が後ろに立っていた。
「我が小者が気を利かして番頭に告げた」

さーそれからである。若い血気の馬廻役の四名と大貫禄の目付との格闘。しかし四対一の勝負は呆気なく着いた。番頭のくせに京助はいい見物をしたと思った「きっと柔だな、あれが柔術だ!」

一人一人に活入れて起こしてやり「「皆さんまだお若い、剣術や槍術だけがご奉公ではない、武芸未熟と侮(あなど)られぬように精進されたく」と息も切らさぬ目付。その後馬廻役達は目付を囲んで飲み直して武芸談義で又盛り上った。

帰りが翌日になった主人夫婦には二階の部屋の壊れたのを怒られたが、馬廻役達に修繕費ももらった以上に何故か嬉しくてたまらぬ京助だった。


                                                (Mar.4,2005)

 
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