戦国時代の末期や江戸時代の初期ならいざ知らず、旅の武芸者など天下泰平の世にあまりいなくなった。
安藤貞兼は元々大百姓の次男坊。子供の頃に村に逗留していた安藤某という武芸者に傾倒した。
「体躯も良い。すじも良い」と褒められてその気になってしまった。
その後百姓仕事のかたわら裏山での一人稽古や書物での勉強をした。
「武芸で身を立てたい」と次男坊が言い出したとき、両親は「滅相な、今はそんな世の中ではない」と言いながらも、たんと束脩(授業料)を弾んで城下の町道場に住み込みで入門させた。
はじめの内は竹刀剣法に迷ったが、直ぐに師範代や道場主を打ち負かした。特に木剣を使うと実に見事なものがあった。
「きや奴の剣には古風な凄みがある」と言われた。自分で名付けた安藤貞兼の名は小藩の狭い城下では侍達にも恐れられた。藩の剣術大会に優勝して正式に苗字帯刀を許された貞兼は城下を去った。
江戸までの旅程も武者修行(その実は道場破り)で過ごした。木剣での試合もしたが常勝で、野試合で幾人かに真剣でも勝った。本人はもう一端の武芸者だと思っていた。
しかし江戸では北辰一刀流が全盛を極めつつあった。貞兼が勝てない。
そして「木剣や真剣での勝負は無し」との先生の主義。
「それでは本当に強いのかどうか分かりません」と貞兼。
「当流派は最早剣術をそのようには考えておらぬ」と先生。
「ならば塚原卜伝や宮本武蔵がこの世に現れたなら」と貞兼。
「きっと三本勝負の二本までを先取されるだろう、かっての武芸者の頃の剣術とは当世の剣術は全く異なる。お主はまだ若い。内弟子となり修行を積め」と先生。
故郷の裏山で木々を相手に行っていた修行とは違っていた。毎朝千本の素振りをやらされる。
「できるだけ竹刀を早く振れ」と先生。
乱取りは小手と面と胴と突きを的確に取らねば一本とならない。
免許を与えられて故郷に帰った貞兼は嫁を娶り分家してもらい帰農した。小さな道場も作り藩士達にも教えたが、もう「武芸者」ではなかった。
(Mar.31,2005)
安藤貞兼は元々大百姓の次男坊。子供の頃に村に逗留していた安藤某という武芸者に傾倒した。
「体躯も良い。すじも良い」と褒められてその気になってしまった。
その後百姓仕事のかたわら裏山での一人稽古や書物での勉強をした。
「武芸で身を立てたい」と次男坊が言い出したとき、両親は「滅相な、今はそんな世の中ではない」と言いながらも、たんと束脩(授業料)を弾んで城下の町道場に住み込みで入門させた。
はじめの内は竹刀剣法に迷ったが、直ぐに師範代や道場主を打ち負かした。特に木剣を使うと実に見事なものがあった。
「きや奴の剣には古風な凄みがある」と言われた。自分で名付けた安藤貞兼の名は小藩の狭い城下では侍達にも恐れられた。藩の剣術大会に優勝して正式に苗字帯刀を許された貞兼は城下を去った。
江戸までの旅程も武者修行(その実は道場破り)で過ごした。木剣での試合もしたが常勝で、野試合で幾人かに真剣でも勝った。本人はもう一端の武芸者だと思っていた。
しかし江戸では北辰一刀流が全盛を極めつつあった。貞兼が勝てない。
そして「木剣や真剣での勝負は無し」との先生の主義。
「それでは本当に強いのかどうか分かりません」と貞兼。
「当流派は最早剣術をそのようには考えておらぬ」と先生。
「ならば塚原卜伝や宮本武蔵がこの世に現れたなら」と貞兼。
「きっと三本勝負の二本までを先取されるだろう、かっての武芸者の頃の剣術とは当世の剣術は全く異なる。お主はまだ若い。内弟子となり修行を積め」と先生。
故郷の裏山で木々を相手に行っていた修行とは違っていた。毎朝千本の素振りをやらされる。
「できるだけ竹刀を早く振れ」と先生。
乱取りは小手と面と胴と突きを的確に取らねば一本とならない。
免許を与えられて故郷に帰った貞兼は嫁を娶り分家してもらい帰農した。小さな道場も作り藩士達にも教えたが、もう「武芸者」ではなかった。
(Mar.31,2005)
