榎木京介は京都から東京へ駆け落ちした父母の間に生まれた。京都と東京ということで京介の名が付けられた。何故か直ぐに父母は別れ、京介は父の顔を知らないまま育った。父は関西に帰ったらしい。母はいわゆる京美人で夜の銀座で売れた。京介は贅沢な育ち方をし、不良からやくざの道に入った。しかし母の財力と見栄もあり大学は卒業した。

母親譲りの二枚目でインテリ、京介は「もてるやくざ」で、しのぎも上手かった。まだ若く美人の母はU会の会長と出来ていた。問題は京介がやくざの一家を構えるときU会と違う系列だったことと、関西勢との対立が京介の上部団体のS会にあったことだった。母はずばり盃直しをしろと京介に迫った。「俺はこれでもS会の若者頭補佐だ、関西勢に恐れをなしたと言われては・・・・」と京介。

東京のやくざ組織は話が通り易い。京介の母はU会の会長に働きかけて京助のS会からの離脱を図ろうとしたが、S会としては京介の一家を手放せない理由があった。京介は武闘派でもあった。その身内にも頼りになる面々が揃っていた。関西勢との対立に京介は欠かせなかった。

ドンパチが始まった。死傷者が出るに及んでU会が間に入って手打ちにしようかとの話になったが、手打ちには条件がある。東京に出張った関西勢は猛者ぞろいである。幾人もいるS会の若者頭補佐の中で自然に京介が折衝役になった。「お前は頭が良い、喧嘩も強い」と会長の一言。

折衝の相手側に会った。一つ間違えば殺し合いになる。何と関西勢の全権が京介の実の父だった。「母親にそっくりだ、京介の名は俺が付けたんだ」

京介は父を張り倒した「甘えるんじゃねー、関西者が」 折衝はS会に有利に進んだ。手打ちの席でも「俺の息子で」と吹聴する父が許せない京介だった。
                                                        
                                               (June 13,2005)

             
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