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                                              太郎左ヱ門

「市田新兵衛様とおっしゃるご浪人を探している」
岡っ引きの三次は大家の伝兵衛に尋ねた。
「お内儀さんとも今お出かけだが直ぐに戻られるでしょう。親分さん、お茶など啜ってお待ちなさい」

三次は肥前屋の主人に頼まれて縄張り違いのこの長屋まで来たという。
「何でもな、市田様にお礼をしなければならないので探してくれ。物凄く腕の立つお方で、何かお世話をさせてもらいたいとのことだ」
「ええ、あの温厚な市田様が・・・・」
「柔術とかで、あっという間に与太者の十人余りを伸ばしちゃったとか」

内職物の納めが終わり帰ってきた市田新兵衛。「月代も髭も伸びている。明日肥前屋には参ると伝えてくれ」
それでも翌朝三次は迎いに来た。
「捕り物の仕事は面白いだろうな」
「いやー、これはこれで嫌なこともあります」
「だろうな。私も昔に捕縛術を教えたことがあって懐かしい」

肥前屋のお礼やお世話とは、まずは食客(用心棒)になってくれ。その内に仕官の道も働きかけるというもの。
「して、ご浪人になられた訳は」と肥前屋。
「若気の至りで今の家内と駆け落ちじゃ」と笑って新兵衛。

肥前屋は道場まで建てた。新兵衛はお店の若い者達に護身のための柔術や棒術を教えた。捕縛術の専門家の三次が見ていても新兵衛の術はただものではなかった。肥前屋も活動して仕官の話をもって来るが新兵衛はのらりくらり。

実は会津藩が新兵衛を血眼(ちまなこ)で探していた。出奔の罪はもう新兵衛の妻の父の元家老が亡くなってうやむや。問題は平侍の新兵衛が会津武術の秘伝を受け継いでいたこと。秘伝が藩外に漏れては困る。特に肥前屋の「道場」という言葉が問題になった。まして肥前屋が西国の大名などへの新兵衛の仕官に働いているという。早速江戸家老の下地で藩命を帯びた使者が肥前屋に出向いた。

肥前屋は不満を述べた「最も高禄を約束する藩に仕官させてあげたい」
三次は思った「やっぱりねー、只者じゃねー、会津武術か」
そらからが商人、肥前屋の出番だった。何と新兵衛の帰参の禄高を会津藩江戸屋敷と商売がらみで交渉し始めた。

                                                                                                                            (Feb.10,2005)