from NewOrleans -4ページ目

お久し振りです。

生きてます。大丈夫です。

…全然『前を向く』事が出来ていませんが…。

引きこもりです。仕事は何とか逝けてますが直帰して呑みにも出ません。


母と二人(+3匹)静かに暮らしてます。


…結婚してたらなぁ。子供がいたらなぁ。

…覚悟で付き合ってたはずなのに想いはつきません。
 
日が経つに連れ相方が『居ない』という現実が辛く、現実逃避に拍車がかかります。
それを赦してくれている母に感謝です。

病気に対して冷静に考えられる『今』。
相方は『抗がん剤治療』しても、しなくてもあの日が限界だったんだと思います。

でも。やっぱり考えずにはいられない。

無治療だったら…?


くだらない人生のあたしは…嫁ではないあたしに何が出来るか、精一杯やった。あの時のあたしは間違いなく『生きて』いました。

今…何にもなくて。
所謂『気休め』の『友人』すら居なくて。
本当に『あたしの全て』は『相方』だったんだ
なと。

本当に相方と過ごせた12年間は宝物だし。多分あたしの全て。

女としては何にも成せなかったけど…。

でも,.これから結婚や出産はない。

相方と過ごした日々が全て。

…なら…、どう生きていかなきゃイケナイんだろう。

11月は辛い。

相方追悼パーティから一ヶ月。相方の癌発覚から一年。

…気付けばあの日から一年。

早い…ってか…あれ?また?もうこの時期?って位雪解けも春も夏も秋も無い一年でした。

走り続けた。

で、8月から急に時間が止まっちゃって。

ウラウラしてたらもう11月。

大好きなミュージシャンの映画公開。

あれ?真駒内は去年の9月よね?

一緒に行ったんだよね?

あの頃は一年後に居ないなんて思って無かった。

この映画も観に行こうって約束してた。

間質性肺炎ぶり返して、しんどいときに…相方の誕生日を越えること、11月の映画を観に行くこと、この2つを目標にしてた。

両方叶わなかったけど…。

昨年の11月2日から、何かあっという間な感じもするし、凄く昔の出来事みたくも感じる。

本当に遠い昔の出来事みたい。
 
相方の追悼パーティ終えてから一ヶ月、本当に引きこもりでした。

仕事と家の往復。

外に出て、人と話すのが億劫で。

知り合いに会えば、きっと皆励ましてくれるんだ…けど、それすら素直に聞けないから。

『親』を亡くした時は、また違った。
多分、あの頃は…『親』は先に逝くものだと思ってたから。

相方も、随分と歳上だったから、いつかはあたしよりは先にとは思ってたんだけど…。

全然違う。

何にもしなかった一ヶ月。

皆さんのブログ読んでると…其々ですが、皆さん頑張って『日常』過ごしてらっしゃる。

あたし…『頑張って無い。』


明日、約束の映画館を一人で行く予定。
まだ観てないけど…もしかしたら、観ちゃったら時間が動くのかな。



乱文ですが…何が言いたいかって…。

皆頑張って!…ずーっと頑張って治療されてる方、支えられてるご家族、パートナーの方。

皆、皆、頑張って!!
今のあたしには祈ることしか出来ません。

しんどい治療…本人にしか『辛さ』は解りません。

治療が長いと、副作用…辛いですよね。
今までも皆様、ずーっと頑張って来られてますよね。

だけど、敢えて言いたいです。

頑張ってください。

きっと…きっと癌をもっと楽に克服出来る日が来ます。

ごめんなさい。

何から書こう…。

…えっと、49日の後から今まで…今月は11日に納骨、12日に友人主催の相方追悼パーティ。

その後にあたしの誕生日…21日が二回目の月命日。

あたしにとっては…色々重くて…前回書いた後から今まで、一番落ち込んでます(*´ω`*)ゞ

追悼パーティは、相方のいとこさんも一人来てくださって…この方はあたしと歳も近いし、相方とあたしと価値観も近いので前から何かと話しやすい方です。

久々に楽しい?一時でした。
だけど、あーゆー集まりにいつもあたしの隣に居るはずの相方は居なくて。

あたしはお通夜の夜みたく…来てくださった皆さんに挨拶回りと、通夜葬儀ではしなかった、『ご挨拶』。
主催してくれた、友人始め…来てくださった皆さんはあたしと相方の関係を良く解ってくださってて、さながら『お通夜』のやり直しでした。

納骨した次の日だったけど、漸く見送れたように思います。

…こんな集まりにいつもは、あたしよりも必ず居るはずの相方。…何で居ないんだろね。

そう思ってしまってからは、蓋をして泣かないように頑張りました。…それがいけなかったかな。

ギックリ腰は大分良くなりましたが、仕事は行っても直帰で引きこもりです。

『人』に会いたくなくて。

相方が罹患してから、相方のお母さん、あたしの母、職場始め、みーんなに『説明』『説明』『説明』。

感情を殺して『説明』三昧。…疲れました。

感情を殺さないと、話し相手が理解できるように『説明』出来ないので…。

感情を出せる相手は相方しか居なかった。

だから、最期までの『あの時』…。あたし相方を支えられてなんかいなかった。
…先日、眠れなくて相方とのLINEのやり取りを遡って見ていたら解りました。

『あの頃』を今客観的に見ると、あたし随分酷い。

相方はあたしの事ちゃんと想ってくれてた。

あたしがそれを解って無かったんだ。

ごめんね。今見ると、あたし相当ヤられてたんだね。

『あの時はごめんね!』って…もう直接言えない。

まだまだ時間が残されてると思ってたんだよ。
あたしが一番解って無かった…大バカヤローだよ。

あたしのクダラナイ感情で喧嘩したまま最期の入院して、お母さんからの電話があって、病院で再会して…。

すぐ仲直り?して何とか退院まで頑張ろうって誓ったあの日。

約2週間…あの2週間が…。

全てです。

あたしがずーっとクダラナイ事でカリカリしてたから…最期に会話出来た時…。

相方は、あたしに謝ったんです。

もう話すだけで相当苦しかった時に。

『ごめん。こうなって…。オレ全然勉強してこなくてごめん。お前は1月からこうなるっって解ってたんだろ?一人で辛かったよな?…一緒に帰れなくてごめん。』

肩口にあたしを寄せて泣きながらそう謝ったんです。
虚ろな目で、しっかりあたしに言ったんです。


遅かれ早かれ、手術が試験開胸で終わった時点で『いつか』はと思ってましたが、まだまだ頑張れると思ってました。

この時も…根拠は無いけど、踏ん張って回復してくれるって思っていました。

だから、

『まだその時じゃないよ。パイレーツも観てないし、函館にも行ってないし、還暦のお祝いしてないし、11月にはあの映画観にいくんじゃん?今は苦しいのと痛いのを何とか抑え込んでさ…一緒に帰るんだよ?!』

二人で泣きながら最期のハグして病室を後にしました。

翌日、行くともう話すのも殆んど出来なくて、その次の日には意識朦朧。…気のせいかもしれないけど、目を見ればあたしには解ったよ。何言いたいか。

言ったように瞬きで意志疎通出来たよね?

だけど、もう身体が意思通りに動かせなかったんだよね。

一晩苦しかったね。頑張ってくれたよね。

お薬入れても眠れなくて。無意識でチューブ何度も外して…。

ごめんね。苦しかったんだよね。

お母さんとあたしが早く決断してたら…。

ごめんね。

最後まで奇跡を信じてたんだ。

乗り越えた先にある未来を。


……あれ。着地点見失いました(^o^;)

2ヶ月過ぎてもまだあたしは動き出せなくて。

寧ろ今の方がウジウジむだむだしてるときに…嬉しいニュースが!

こんなあたしに寄り添って励ましてくださってるブロク友さんが!
結納されたと!(←勝手にすみません!!)

凄く嬉しくて、心から祝福してます!

だけど、凄く優しい方で…。
お祝いのコメントをしたら、その方があたしの近況を気にしてくださって(´;ω;`)

正直にあたしの今を…『ハレ』のブログコメント欄に書くのは…と思い。

久々に書きました。

本当におめでとうございます!
新しい『絆』大切にこれから沢山の幸せがありますように祈ってます(*´罒`*)

……ボチボチあたしも進まなきゃなぁ(´;ω;`)
皆さん凄い!…偉いなぁ…。

何であたしこんななんやろなぁ…。って思います。本当。
…相方が居ないからじゃ╰(°ㅂ° ╬)╯

あたし本当はこんなんじゃ無いんです!
ブログには愚痴吐いてましたが、本来もっと……。

『相方の存在』があたしのアイデンティティの1つにになっちゃってたんですね(*´ω`*)ゞ

あ!また!自分のことばっかり!



ブロ友さんの新しい未来に幸多からんことを!