昨日もNHKでやってたんっすけど
門松と家康と武田信玄の話
門松は寸胴型が元祖!そぎ型の由来は徳川家康と武田信玄?!
https://sinobi22.com/2036.html
合戦に勝った武田信玄公は、さらに徳川家康公を精神的に追い詰めるために新年の挨拶に歌を送ります。
その歌はなんて詠まれていたのでしょう?
ご紹介します。
信玄→家康
「松枯れて 竹類なき あしたかな」(まつかれて たけたぐひなき あしたかな)
意味は、「松(松平=家康のこと)が枯れて(滅びて)竹(武田のこと)類なき(比類することない、繁栄する)あしたかな」
要するに、「徳川家が滅び、武田家が繁栄する」という意味を歌にして送りつけたのです!
追い込みますねえ!
これに対して家康公も黙ってはいません。
徳川家康公から返した歌はこうです。
家康→信玄
「松枯れで 武田首なき あしたかな」(まつかれで たけだくびなき あしたかな)
意味は、「松枯れで(松平は滅びず)武田首なき(武田家は滅びる) あしたかな」
要するに、「徳川家は滅びず、次には武田家を滅ぼす」、という意味です。
この歌を作った時に、ちょうど季節柄飾ってあった門松の「竹」を「武田家」になぞらえて、徳川家康公は斜めに削ぎ落としました。
徳川家康公の怒り具合が伝わってきますね!
そぎ型門松の誕生
このように怒った家康公が門松の竹を「武田の首」に見立てて削ぎ落としたことで、
このそぎ型門松が誕生することになります。
おおっ、ちょっと怖いですね。
この後、徳川家康が治める領地の門松は、そぎ型に統一されていくことになります。
これがそぎ型門松誕生の秘密です!
さらに歌にトンチが隠されていました。
話ダウトなんじゃないかと思ってまして
まあ山梨ではそういう風に捉えてるのかもしれませんが
歌は後に誰かがねつ造したんじゃないかな?
ほら家康の幼名は「竹千代」
武田の武を竹に引っ掛けてるより
自分の幼名はタケは竹そのもので
ブーメランになるのは自分が一番よくわかってるわけじゃないっすか?
おそらく三方ヶ原で描かせた、恐怖におののく自分の顔とおなじで
三方ヶ原で首をはねられててもおかしくなかった状況を自ら戒める意味で
新年にはガキで未熟だった自分に例えた竹を斬った門松を置いて
心を引き締めてたんじゃないかと思うんっすけどねえ。