marketにとって都合のいい余暇についてのmatrixは以下.

市井の人々からできるだけ可処分所得や可処分時間を分捕りたいsubjectsは,前掲したmatrixをしれっと標準化しようとしている.このmatrixには恣意が潜んでいる.[デフォルト予定の有無, リスケの可否, デフォルト予定有無とリスケ可否]に暗黙裡に重みづけを既遂している.
順位をつけられてない自由 vs. 自らにとっての第一位に耽る自由という構図は,rhetoricalだ.それは「Tomorrow never knowsである.故にEd Woodが傑作を撮れないとは断定できない」という論法だ.そもそも成り立たない.
じぶんがスキナコトを識っている個体群はminorityだ.広告代理店や政治家はmajorityに媚びなければならない.だからこそ,冒頭に掲げたmatrixを前提にしたがる.だが,それは誤前提暗示.
{ デフォルト予定: 無, リスケ: 不可能 }は,「テレビで取りあげられていたから」と行列を成すような層.
{ デフォルト予定: 有, リスケ: 不可能 }は,推し活.
{ デフォルト予定: 無: リスケ: 可能 }は,浮動票 for 広告代理店.
{ デフォルト予定: 有, リスケ: 可能 }は,釣りキチ.
priorityを決められない個体群こそカモだ.カモを担いで囃したてる風潮に足許を掬われちゃ馬鹿馬鹿しい.
以下が正しいmarixのはず.

折角の休日なのにcatalogから退屈凌ぎを選ばなければならない連中が持て囃されるのはカモだからだ.