JAZZって良いよねぇ。

ホントに平等で、みんなが「光る」仕組みに成って居るんです。JAZZって格差の一切無い社会なんです。

当時今より思いっ切り白人と黒人の格差が有った社会で、せめて黒人同士で音楽を楽しむ時位は全員平等で行こうよ!が基本ですね。

ピアノが1分弾いたらベースだって1分弾かせろ。そんじゃあドラムだって1分叩かせろ見たいなね。

太鼓や、ベースや、ピアノ(スリーリズムと言って、「バック」の代表(要)です。)であっても、ちょっと位人前で良い所見せたいじゃない?モロチン、普通はヴォイス(みっちーさんみたいに・・)や管とかがフロントな訳ですが。

つまり太鼓屋のオラは「バック」なんです。何時まで経っても。

でも、みんなが平等にアピール出来る様に間奏ができて(?)ソロ回しが有るのです。
オラなんか太鼓係だったので、滅多に人前で「見栄」を切れません。順位的に最下位な訳でして。滅多に時間が貰えません。貰っても恥かくだけですが・・・・

ですが、少人数のコンボだと幾らか目立たせてくれる場面も有る訳です。

だからピアノトリオは大好きですね。(ホントの裏方3人衆)
スリーリズムはどんなに大人数に成っても全体のリズムの基本であるし。
しかも3人取り出すと、たった3人の最少ユニットでも感動的な音が出せるのですから。
ステージ時間の3/2はピアノですが、残りの6/1ずつベースと半ブッコ出来る訳で、技が出せる訳です。定量的に言えば・・・実際はそうはなりませんが。

昔、渡辺貞夫が「JAZZって、人生なんだよね・・・」とか、クソでもないCMブッコイとりましたが、あながちクソとも言い切れません。

JAZZの感じ方は人間の生き方の本質の一部を捕らえているかも知れません。
マイノリティーのニグロイドが抑圧された生活の中で紡いで来た文化です。
白人にはコケにされて来た黒人同士が、でも俺は俺だよねぇって、今この場で実際生きているよねぇ、間違いなくここに立っているんだから・・
存在を再認識してきたというか。

JAZZって本当に平等な社会なんです。ステージに上った全員が一様に皆かっこよく見えるように気を配るんです。

しかもその瞬間、突発的なライブのムードで。
イキナシ何が起こるのか解からないのが面白いんです。突然誰かがあらぬ方向へ突っ走り出したり、それにみんなが付いていったり、付いていかなかったり・・




一人一人が存在価値が有って何かの役割を誰かの為に担っている。



これって人が一様に望む「あらま欲しき人生感」その物なのじゃないでしょうか。いや、もっと言いますけど、究極の人生感なんじゃないでしょうか?



実社会もそんな風に成りませんかなも・・・・・







今日は泥酔しましたので、また後日。








猫飯糞寝。