ボクの平成 Part.20 ~最終回~
あとはご存知の方も多いかと思うが、僕は沖縄を活動拠点とし今に至る。このOKINAWA LIFEを振り返ることはしない。まだ渦中にいるから自分も現在の価値がよく分かっていない。何年か、何十年か経った時に、またブログにしたい。前回までの内容はこちら「Part.1」「Part.2」「Part.3」「Part.4」「Part.5」「Part.6」「Part.7」「Part.8」「Part.9」「Part.10」「Part.11」「Part.12」「Part.13」「Part.14」「Part.15」「Part.16」「Part.17」「Part.18」「Part.19」総括せっかく何かの区切りがあるのなら、そこまでを書き綴ってみよう。そう思って始めてみたものの、平成が僕にとって何だったのか全く思い浮かばず、ただただ振り返るだけの文章が続いた。平成最後の日の夜は1人お気に入りの店へ行き、答えが出ずむずむずしながらマグロを食べていた。以前、食ってないのに注文にカウントされていて、支払額高くなかったか?と気づいた時にはすでに遅しであった、因縁のマグロを食べながらだ。時に「僕にとって」という狭い見識に嫌気がさしたが、Part.1の2行目で述べてしまったので後には引き返せなかった。もっと視野が広くなった時、「私たちにとって」「日本にとって」「世界にとって」のような考察をしよう。それは来たる令和の次の時代にお預けだ。それまで死ぬわけにはいかない。さて、結局僕にとって平成は「欲望の選別期」だったと言える。というのも「人生は欲望との戦い」という言葉がふと降りてきたのだ。特段何かをしていたわけではない。いつもの白いイスにつき、ペンを握ってノートをペラペラしていた。カミュの異邦人について思い返していた時だろうか、ふとした瞬間というのは全く予期できない。車以外は何でも食べる大食漢。ゴムゴムの実をかじることを医者からオススメされるであろう性欲の塊。寝ても覚めても寝ている睡魔人。みなさんの周りにもいないだろうか。支配欲・承認欲・顕示欲・収集欲・権力欲…挙げればキリがない。これらの欲望といつも向かい合わなければならない。戦いには勝ち負けがある。欲望を満たすことができれば、勝ちなのか、それとも満たさなかったら勝ちなのか。この基準設定は非常に面白い。難しくもわかりやすい例を出すのなら、「自分や他人を傷つけたい」という欲を満たすことは勝ちなのか、負けなのか。時と場合によるだろうか。意見が分かれるだろう。そう、これが価値観だ。価値とは「欲望を満たすもの」である。勝ち負けで考えると僕は楽しい。はぁこの欲望に今日は負けた、とか、この欲望を制したぞ、という達成感を勝手に得られる。その勝負を繰り返してきた。勝ったからといって何かあるわけではない。平成を過ごす中で様々な欲望が湧いた。どの欲を満たすべきなのかを探した。他者と交流し親和欲を満たすか、美人を両脇に置き、ランボルギーニを乗り回して顕示欲を満たすか、物事に目標をつけ達成欲を満たすか…その欲望へ純粋になり、排除し、選んだ。「〜したい」は思い詰めると「〜しなければならない」へ勝手に変換される。おそろしい刷り込みだ。この欲望→使命への変換は大きなエネルギーを生む。しかしその反動で、道の先が分からず不安が覆う。欲望と使命を基準にどの手段を取るかを次に選んだ。それがスポーツであり、バスケだった。令和はどんな時代になるだろう。それは渦中にいるから分からない…だった。みなさんにとって平成は何でしたか?20回にも及ぶ長い連載にお付き合いしていただき、ありがとうございました。ブログを書きたいという欲望は留まるところを知りません。今後もぜひお楽しみあれ!完