こんにちは。
日曜日ですね。
今日は、槇原敬之さんの、「どんなときも。」を聴いています。
この曲は、小学3年生の頃に、
友達の家に遊びに行った時に、CDデッキから流れて来て、
僕はまだ、自分の家にCDデッキがなかったから、テープにダビングしてもらって、
持って帰ってから、何度も、何度も、テープが擦り切れるくらいになるまで、聴いていた曲の一つです。
幼いながらに、感銘を受けた歌詞の部分に、
いつかぼくは、こんな男でありたいと、かっこつけては、ませようとしていました...
今、この歌詞を確かめてみても、その気持ちは変わっていません。
・・・
毎日が同じ事の繰り返しで、学校が終わったら、友達の家に遊びにいって、
何かを感じる事が、全てだと思っていたあの頃、
その時、目に映ったモノは、今も鮮明で、
しかし、今は、あの頃よりも、
深く生きてみようと、一歩を踏み出した自分がいて...。
そんな姿を、見ないようにして、きっと陰ながら見ていてくれたんだと思われる、
親の存在。
こんな日だからしか書く事は出来ないと思うし、こんな日だからこそ書く事が出来ると思うので。
今日は、父の日。
感謝したいと思います。
あまり多くは語らない、そして、ここぞという所だけは、譲らない。
そんな性格は、似たのかもしれません。
自分の人生、やりたいように生きろという、その言葉を聞いた時は、
その時、感じていた、しがらみを消してくれるような光でもありました。
そりゃあ、こんな綺麗な言葉ばかりが集うようなモノばかりではありません。
家族ですし、何十年と生きている訳ですから、、
色々ありましたし、
胸ぐらつかんで...なんてこともありました。
しかし、僕にとっては、たった一人の父。
そして、一人の人間。
粗末になど、到底、考えられませんし、誰が独り立ち出来るようになるまで、面倒見てくれたんじゃい。
って思う訳です。
自分の見ていない所で、たくさんの苦労をしてくれているはず。
頭も上がりません。
今思う事は、より、長く生きていてほしいと思うことですかね...。
親孝行とは云えど、何をしたら親孝行なんかなと、、
僕が、生きていく道を見いだしていくことこそ、
親を安心させてあげられる事なんじゃないかなと思っていますし、
それを、信じ合える関係を作る事が出来たら、そしてそんな時間を送る事ができたら、
マルなんじゃないかなと思っています。
無論、僕は、出来るとしか思っていませんし。
・・・
時折、家に帰った時に、くれる言葉の一つ一つが、案外、胸に沁みるのは何ででしょうね...
また家に帰って、玄関を開けた時には、
「ただいま」と元気よく言えるような、そんな姿でありたいと思います。
父にも、未だ夢があり、
僕には、目指すべき夢がある。
夢を追いかける道を教えてくれたのは、
もしかしたら、本当は、父なのかもしれません。。。
でも、きっと僕は、自分で見い出したと一点張りをするでしょうが。。。
何はともあれ、1年に1度しか来ない、このようなスペシャルな日をくれた、
6月16日にサンキュですね。
父の日。ありがとう。
SHIN