最後の投稿から約半年が過ぎようとしている。
相変わらず海外の離島に住んではいるものの、私の生活はすっかり変わってしまった。
今は食事の時間と目を休める時間以外はほとんど作業室にこもり、一人、アートをやっている。
こうなったきっかけは天の荒療治、足の怪我だった。
どこへも出かけられない状況に陥り、このようなことになった。
最近ようやく外を歩けるようになり、怖かった階段やエスカレーターもゆっくり利用している。
人は、病気や怪我をしちゃったときは、自分の何がいけなかったのだろう?とか、天のメッセージは?とか色々考えたり、検索して意味を知ろうとしたりすると思う。
だけど、検索した中にほとんど合ってるものはないだろうし、それにバチが当たった的な発想は恐らく間違っている。
(実際、私も何度もそういう考えがふと浮かんだけれど、そんなふうに考えていいことは一個もないし、本当にバチっていうものはないと実感した)
病気や怪我の意味というものは、その後で、どう変わったかに大きな意味があると思う。時間をかけて、ずっと後で知ることができる。
それから、自分の場合は、ゆっくりゆっくり治っていくまで、“ 病めるときも、健やかなるときも” を自分にやってみて、今までの人間関係で、自分がどういうふうに人と関わってきたか、他人が自分にどういうふうに関わってきたか、色々見えていなかったことも見えるようになった。(気付いた)
アセンションの道は “よく分かりました ” ってなるので厳しいけれど、自分が望んだことだからね。
来週、同じくモノづくりをしている者同士、しかも同じ双子同士のお友達と会うので、今からとても楽しみだ。