「人生一度きり」って良く聞く言葉ですが、言わんとしてる事の大切さは分かると思いますが、多分殆どの人がこれを聞いても何も感じないと思います。
自分の話してる意味が伝わらないのは、言葉というのは往々にしてこういう事があるからです。
これ恐らく殆どの人がまず学校の先生のどれかに言われてると思います。ところがこれがまあ「軽い」訳です。これを言う教師自身が本当に一度きりと理解して自らその前提で生きていないから。
そういう人が使ってしまう言葉はどうしても「手垢がついて」しまう。良く親が言う「勉強しなさい」も同様です。それをしてない人、して来なかった人が上辺だけで使う言葉は寧ろ汚れてしまう。
だから僕は言葉の表現にはもの凄く気を使っています。「手垢」のついてしまっているような表現は徹底して避ける。
であるが故に「解り難い」と指摘されます。
特に中年以上の方に多いのですが「手垢」のついた言葉の表現じゃないと、もう理解出来ない頭になってしまっている。
自分に問うような物事の考え方をしない人々は極端に理解力も感性も退化します。極論すれば自分の理解力の問題ではなく、相手の説明が悪いという物事の捉え方です。
では「人生一度きり」の言いたい意味を改めて考える事にします。
とある介護関連の仕事をなさってる方に聞いたのですが、高齢者になると脳や肉体に関わるトラブルが非常に増えるようです。だから出来る事が制限されます。以下列挙します。
膝を悪くする人が多いのですが、例えばそうなるとスポーツも登山も出来なくなります。
脳梗塞で自由に手足が動かせなくなります。そうなると色々な不具合があるでしょうが、例えばゲームが出来なくなる、絵が描けなくなる、楽器が弾けなくなる等々です。
脳梗塞に関してはもう本当に良く聞きます。僕の親戚にもいる位です。
将棋や囲碁などの趣味を頑張ってる高齢者とそうで無い人の認知能力はかなり差があるそうです。脳が退化してしまうと、映画を視ても漫画を読んでもまるで理解出来ない、少なくともその面白さを理解出来ないという事になります。更にネットに繋ぐ機器を使えませんから、今の時代何も出来ないに等しいです。
もう分かりますよね?
今普通にやれてる事が、何れ出来なくなります。
これが「人生一度きり」の本質です。
だから体の機能も脳の機能もまだ100%機能出来る内にやるべき事があるのではないでしょうか。
例えば脳の機能が正常なあなたは学生じゃなくても勉強しないと勿体ない訳です。
今なら出来る事をしませんか?
脳や肉体が機能不全になる前に、自分が本当は何をしておきたいのか考えませんか?
という事になります。
介護職の方に高齢者の実態を聞いた以降は僕自身大分変りました。
悪い意味での我慢や辛抱をしなくなりました。それらを避けたり解決の為にすぐ動くようになりました。生産性がとても悪いからです。
それは無限に時間があるなら看過出来るのかもしれませんが、例えば寿命があと数年とかならとても付き合ってられないですよね。他人にどう思われようがどう言われようがなりふり構ってられないと思います。
自分はもう少し寿命がありますが、すぐに「残された時間があまり無い」という気持ちになれるようになりました。そこら辺が最大の変化だと思います。
人生が制限時間のあるRPGだとすると、ラスボスまでの到達どころか隣町とのおつかいだけで終わるような事が無いようにしたいものです。