努力だけは、努力によって習得できない① | ЯαYの日記

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信なくば立たず

2016年3月16日の記事の第二弾です。
今回は前回書かなかった「辛抱力(忍耐力)」についての記事です。
だから今回記事で使ってる「努力」は「忍耐力」の意味で取って頂いて結構です。
前回記事を読まれて無い方の為に、シンプルに「努力」という表記をさせて頂きました。
 
 
「努力だけは、努力によって習得できない」
ここに努力の難しさ、いや超難しさがあります。
 
何かの専門知識なり、技能なりの修得をしたい場合には努力が必須です。努力せずして何か価値あるものを身に付ける事は出来ません。
ではその肝心の努力が出来ない人は、まずその「努力」を身に付けなくてはいけないのですが、
 
努力そのものが出来ないのですから、努力の習得に努力は使えないのです
 
ところがこれは恐らくどんな分野のエキスパートに聞いても「努力をしないで、その道を極める事が出来ますか?」との質問に間違いなく全員即答で「NO」と答えると思います。
つまり何を習得するのにも努力しないとダメなのです。各分野の上達には色んなノウハウがありますが、それは努力が大前提としてあります。
 
要するに「努力を努力によっては得られない」という事実はそれを習得する別の方法が無く、生まれつきの努力家以外は努力家にはなれないという事になってしまうのです。

 
今までリアルやネットに拘らず継続的に長期間努力出来る人々を観察したり、質問責めにして来ましたが、全員生れつき努力出来る人々でした。
確かにその中では以前はグダグダの怠け者だったのが、何かの失敗やキッカケで以降は頑張るようになった人もいます。が、それは元々素地があったのでそうなれたのです。
どんな技能・体系的知識もそれを自在に使いこなせるようになるには、長い修練が必要です。努力も使いこなすには同様に長い鍛錬が必要です。
何かのキッカケ程度で特に修練も無しに努力家に切り替えられるのは、それが生得的にあっただけの話です。
 
この事に人類はもっと深刻になるべきだと僕は考えています。
自分の周りに「取り柄」がある人はどの位いますか?
何かを極め続けてる人はそんなに周りにいるでしょうか?
努力出来ないと何も出来ないのですが、何もしないまま一生を終える人が圧倒的多数なのが現状です。
 
95%前後の人が「あなたは何の為に生きているのか?」という問いに応えていない。

その問いに口先だけの回答は出来たとしても、人生そのものでそれに応えている訳ではありません。
 
僕自身元々の意志の弱さに加えて、軽度ではありますがADHDというのも影響して、普通の人と比べても努力が非常に苦手な人間です。
小学生~中学生の中盤位までの学力はビリ争いをする始末です。
当時ビリ争いをしてた連中で高校卒業したの僕だけで、他は中卒か高校中退で職人、女性だと妊娠からの高校中退からの結婚(そして20歳前後で離婚)とか、高校中退からの水商売とかです。
だから僕の努力の才能・能力に関しては間違いなく人類全体から見ても最底辺クラスです。これを読んでる全員が僕以上には努力出来るであろうと断言出来ます。
なぜ断言出来るのかというと、かつての自分と同レベルの意志薄弱人間はこういったブログは絶対に読まないからです。そもそも文章を読むのが嫌いですし。
僕自身は突然変異の超例外です(別に優れているという意味では無く、凄いチャレンジャーという意味です)。
多分その例外っぷりは今までの記事の内容でご理解頂けていると思います。
 
僕が「意志薄弱」を克服しようと思ったのは、中学に上がって暫くして位からです。
その為に当時一番有効だと思ったのは「勉強を出来るようにする」事でした。
なぜなら勉強が一番嫌いだったからです。意志薄弱人間にとって、多分勉強が一番苦手でかつ大嫌いな筆頭に来ると思います。
だからそれさえ克服出来れば、他は何でも出来ると思ったのです。
 
当初はそれこそ自宅で机に向かうだけで苦痛な位でした。それまで自分の部屋の学習机の椅子に座った事さえなく、机の上は単なる物置きでした。
なので机に向かって好きな携帯ゲームをする事から始めました。漫画ですらダメです。5分位で飽きますから。

携帯ゲームが机に向かって出来るようになって慣れて来たら、今度は漫画、次は書籍、みたいに段々レベルアップしていきます。
最終的に自分の机に向かってそれ程集中は無理ですが、曲りなりにも勉強出来るようになったのは高校3年の途中からです(それまでは図書館や放課後の教室等を利用して勉強していました)。
人並みになるまでにまだ若く順応性のある十代の頃ですら何と5年もかかっています。
これ以上意志薄弱で心の弱い人間はそうはいないと思います。
 
そんなレベルですから、勉強と向き合う時には激痛のような苦しみをずっと感じていた次第です。
ですから一度机に向かったって、5分で投げ出すとかそういうレベルが少なくとも中学生の内は続きました(僅かずつですが辛抱時間が延びて行きましたが)。
それでも5分で投げ出すの前提ですが、毎日欠かさず勉強と向き合ってはいました。これは自宅学習は全くしなくても毎日授業があるので、勉強と向き合う事自体は案外出来るのです。無論授業は全く聞かず、自学と向き合っていました。休み期間も図書館に通うのを習慣にして、ソコに到着してしまえば他にやる事が無いですし勉強に向き合う事が出来ました。
学校だって仕事だって毎日通学通勤までなら誰でも出来るししてる訳ですから、休み期間に図書館に通う事自体は出来ます。意志薄弱の僕ですら出来ました。これは絶対に出来るのです。
 
5分で投げ出しても良いですし、もう集中とは程遠いグダグダを前提として許容すれば、継続自体は出来ます。
まずは「継続の練習」です。
例えばサプリメントを欠かさず毎日飲むとかも継続の練習になります。ソコには苦痛も何も存在しません。でも実はこの程度でも継続しない人がこれまた凄く多い。これは絶対に出来るのです。なぜなら前述の通り、通勤・通学を忘れる人居ないですよね?
サプリを飲むのを忘れて習慣に出来ないというのは、本人がどれだけソレに真剣かどうかだけの問題です。出来るか出来ないかの問題では絶対的に有りません。
多くの人間が継続の練習を積まないで、受験や国家資格が必要になっていきなり努力を始める。
上手く行く筈が無いんです。努力の大前提の「継続・習慣」という基礎が出来上がって無いからです。
 
こうして5分で飽きる、多少続いても超グダグダで全く身を入れてやってないような生半可な勉強を1000回か2000回(一日何度かトライする日もあるので回数だけは日数より大分多いです)繰り返した時に一つだけ気付いた事ありました。
それは勉強に向き合う時に毎回常に感じていた「超面倒臭い」という気持ちに対してです。
 
この「面倒臭い」に負けない心の強さが必要なのではないか?
心を強くするには「心の努力」が必要なのではないか?

 
です。※「心の努力」の詳しい内容は次の次の記事に掲載予定です。
それまで「勉強そのもの」「努力そのもの」とばかり向き合おうとしてましたが、ソレはピント外れなのです。
向き合うべきはソコじゃなくて、勉強に向かえない「弱い自分の心」だったのです。
僕がやっていたのは、練習も全くしないでサッカーの試合に出場するようなものでした。
他のスポーツに比べても足を使う分困難の伴うサッカーを、未経験の人間がいきなりサッカーの試合に出たって何も出来ないと思います。
そしてその状態で試合だけ出場し続けて、サッカーの技術が向上すると思いますか?
僕がやってたのはソレだったのです。そりゃ成果も出ないし、勉強が嫌いになってしまうだけなのです。
 
だから「~勉強法」の類に引っ掛かるのは如何に馬鹿げてるかです。
努力も出来ないのに方法論なんて意味が無いですし、更には努力にフォーカスばかりしててもその前提たる向き合う心をどうにかしないと、努力なんて永遠に出来ないのです。
だから方法論なんて努力出来る人以外は二段階分も遠いのです。
多分方法論に行く人の多くが何も出来ないで終わってると思います。
 
たったこれだけの事が自分の意識に浮上して来るのに数年かかりました。
まず中途半端でも5分で投げ出しても何でも良いので、兎に角「継続」が超大切なのです。

努力修得なんてずっと後の話です。
努力の会得なんて高々数年じゃ無理ですが、諦めないでしがみ付く事は経験も才能も関係無く出来ます。
 
皆いきなり自分に高いハードルを課すから続かない。

集中して密度の高い修練を長時間継続するようなイメージを持ち過ぎです。

そんなの努力の才能・素養の無い人は、すぐには絶対ムリです。

そこまで行くのに気の遠くなるような時間がかかるのが普通です。
 
ではその「諦めない心」を維持するにはどうしたら良いかです。
それは「感情の無駄使い」を止める事。
喜びも悲しみも苦しみも怒りも全て止める。抑える。
それらのエネルギーを必要な時に「情熱化」する事。
日頃から感情を出来る限り抑えて無駄使いしなければ、いざ継続訓練をやる時の苦しみに対抗する気力を味方に出来ます。その気力の源が「情熱」です。
「感情」は勝手に出て来てしまって制御の効かないエネルギーの放出。
「情熱」は自らの本心から出て来る精神的エネルギーです。
 
で、「心の努力」なのですが、出来るかどうかで言えば出来ます。
という言い方はダメですね、要するに物事には順序があるという事なのです。
出来るとか出来ないとかというより、単に基礎を飛ばして応用問題をやるから出来ない気がするだけなのです。
実際の努力には内面的な素地が必要なのです。その素地を作るのが「心の努力」です。素地が無いままで幾ら努力しようと思っても出来ません。
そしてその素地作りは最初にやるべき作業です。非認知能力というのですが、極々少数の親はそれを理解していて、幼児の頃からこれを子供に教えてます。多くが一流の人材に育ちます。
脳に障害が無ければどんな幼児でも非認知能力は身に付ける事が出来ます。だから当然これは誰にでも絶対に出来るのです。
こういったものは子供の意志では選べないので才能と同じです。だから「努力の才能がある」というのは、良い親を持つ事も含まれます。
 
★サプリメントを毎日飲み続けるでも何でも良いので「継続」の習得。
★感情の無駄使いは止める。
★「心の努力」

 
上記3つは特に前提が必要無く、誰でもすぐに始められて必ず身に付ける事が出来ます。
すぐに身に付けるのは難しく何年かかかると思いますので、まだ身に付けていらっしゃらない方はすぐに始めると良いでしょう。
尚、上記3つを完璧にしなくてもある程度までで一応ですが努力出来る水準にはなります。

残りは努力を始めつつ精進して高めて行くと良いでしょう。それらを高める程、努力精度も上がって行きます。
 
しかしずっと後ですが、更にもっともっと重要な事に気付きました。
それ単体で長くなってしまったので、次回記事に回します。