今回の写真はお台場でも澪が最も好きな場所から撮ったものです。
橋もこの位置から見るのが一番美しいと思っています。
ゆりかもめの「お台場」から僅か7分やそこら歩いただけの場所なのですが、写真をご覧の通り土日でも殆ど人はいません。
これ程美しい夜景が180度広がっているのですが、実に勿体無い事です。
けど人が少ないままで良いと思っていますけどね(^^;
それも自分の好きの根拠ですから。
12月24日。
偶々イヴの時にその日しか空いてなくて買物に街に出たんです。
夕方から夜にかけて。
したらカップルが凄い量。
日本にはこんなにも交際してる男女がいたのかと関心しました。
って去年の日記にも書いたような気がしますが(^^;
カップル以外でも街は普段より大分人が多かったと思うのだけど、恋人居なくて寂しい人々は男同士や女同士、又は親子連れでイヴを愉しもうという感じの人々もいて、独りで歩いているのは通勤帰りのリーマン位のものでした。そのリーマンだって殆どは家に帰れば家族が待っている。
イヴにたった独りでウロウロしている人間なんて、あれだけ人がいても自分以外にはそうはいませんでした。
そうなるとですね、、、、、、、
そういったものが全く無い自分を意識せざるを得ないわけです。
じゃあ無いからといって、恋愛にしろ家族愛にしろ求めているかというと微妙なわけですが。
しかし家族愛なり恋愛なりが無くて、寂しいとか生き甲斐が無いとかいう人の気持ちが解らないわけでもありません。
特に女性はそういうの持ちたがりますね。
家族愛が希薄な女性程、やたら「男」に走ったりする。
それは男好きというよりも、「よすが」というものが人間愛に基づくからでしょう。
これは男性同士の友人関係で買物や遊園地等まず行かぬのに対して、女性同士の友人関係だと一緒にそれらをするという所に明らかのように思われます。
なぜ澪が「人間愛」といったものに対して強く求めてはいないのかというと。
それは相手を「犠牲」にする種類のものだと思われるからです。
自分の経験だと「家族だからこうあるべし」とか「家族だからこの位イイじゃん」みたいな「馴合い」が鬱陶しかったのを覚えています。
アカの他人には求めなくても、「家族」には何かを要求したり何かの我慢を強いたりする。
自分もそうなら相手からそういう要求が来ても構わないのだろうけど、正直澪は自分の「家族」に殆ど心を開いた事は無いし、頼った事もないし、頼りたいと思った事もありません。
逆に言うと家族に何か要求したり、ましてや期待するなんてあり得ません。
正直経済的関係だけなら楽だなぁ、と内心思っていました。
正直自分が生まれた家庭において、それ程心理的接触をしたいと願望しなかったんです。
あまりタッチしたく無い人間に対して、「家族愛」ってのは結構ヘヴィなんですよね(^^;
「恋愛」においても似たようなものです。
皆さんも「彼氏」や「彼女」に対して、明らかに友人達以上の要求をしてると思います。
言い方悪いかもしれませんが、「私の恋人なんだから私の為に犠牲になりなさい」という事なんです。
しかしお互いそれを要求しあってますから、お互いのその「取引」が、お互いに「公平」に感じている間は愛情関係もうまくいくという寸法です。
どちらかが「自分はちょっと損してる」とその「取引」に疑問を感じたりすると、愛情関係の危機ってわけです。
これは恋愛に限らず、結婚生活でも殆ど変わらない構図です。
だから他人に対する依存心の強い寂しがり屋の人間程、他人とのトラブルが多いのです。
なぜなら「愛」というものの「相手に犠牲を強いる」性質がより強いという事ですから。
また、そのような構図が全く見えていない人も×。
大人になっても随分幼稚な「要求」してる人沢山います。
大人というか老人だろうがおじさんだろうが関係ありません。
愚かな人は幾つになっても愚かなわけです。
相手に要求したり要求されたりというのは、お互いを「拘束」するという事ですよね。
まあ、大抵は要求はしても要求されると怒ったりするのですが(^^;
もうそういう低次元のがそこら辺に沢山転がっています。
それはともかく、その「拘束」が一般に言われる「愛」なんです。
その「拘束」が何か自らを規定したり、自らの根拠になるように思える。
多くの人は自由等全く求めていなくて、むしろ「拘束」を望んでいます。
逆説的かもしれませんが、その方が「楽」だからです。
「自由」でアレコレ悩んだり考えたりより、固定して安定している方が楽なんですね。
だから「愛」を拠り所にし、手に入れようと必死になる。
またそれを維持しようと他人に強要する。
それが人として在るべき姿なのかというと、やはり疑問符を付けざるを得ません。
とここまで考えた時に、果たして自分もそれを「持つ」事が潔しとできるかというのがあります。
価値観も思考も実に孤独な澪ですが、別に強がって淋しさを否定し、「所有」を求めないというわけではありません。
時には人を好きになる事もあります。
しかしそれが常に相手を犠牲にしてしまう種類の感情でもあると感じる時に、全く人生の無常を感じざるを得ないわけですね。
それと同時に「愛」を全肯定して賛美する程単純にもなれません。
男女に限らず、こういった機微が解る人とだけ愛し合いたいものです(。・ω・。)